[2] 神武天皇は、日本の初代の天皇です。
万世一系の天皇家のはじまりとされています。
[161]
神武天皇非実在説は現代日本の学界で支持を集めていますが、
何を認め何を認めないものなのか謎です。
[6]
天皇家の系譜を何代か遡ったところに、
歴史的に神武天皇という呼称で参照されてきた人物が存在することは、
生物学的に否定のしようがありません。
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神武東征や天皇の即位が史実でないという主張でしょうか。
日本書紀
の紀年が史実でない (皇紀元年と一致しない) という主張でしょうか。
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Xユーザーの田中希生さん: 「さて、歴史家としていうが南京大虐殺はあった(何度も言わねばならない)。歴史学者はこの点について、もちろん文献を持ち出す権利がある。が、そうした証明をいくら重ねても「なかった」という人間は出てくる。「なかった」に至る論理自体は、別のところでは歴史学者もしばしば使っているものだ。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952638654096248898
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Xユーザーの田中希生さん: 「たとえば「桶狭間の戦いは奇襲ではなかった」というタイプの議論がある。「奇襲」はすでに軍事的接触という事実に対する主観的・共同主観的「評価」を含んでいるため、さまざまな解釈の余地が生まれている。「虐殺」も同じである。米軍の空爆による大量殺害をわれわれは「虐殺」とは言っていない。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952639705779957870
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Xユーザーの田中希生さん: 「つまり、「虐殺」も「評価」という共同主観的な問題に足を踏み入れていることになる。また、たとえば「聖徳太子は存在しなかった」というタイプの議論もある。ここでは存在の否定にまで至っているが、その名の周囲に集められた事績を伝説とみなし、その中心にある存在=名を虚焦点と見るのである。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952641227955802127
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Xユーザーの田中希生さん: 「歴史の印象を、われわれは文献を通して獲得する。そのため存在はどうしても《名》に還元される。そして名が存在そのものとイコールでないことは誰でも知っている。その名に結び付けられた事績は、存在から出た光というよりは、事績のほうから逆照射された虚焦点としての《名》なのである。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952642991299981702
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Xユーザーの田中希生さん: 「こうして、その《名》に結び付けられた事績がひとつでも虚構だとみなされると、ひるがえって《名》が存在の光を失うのである。もちろん、いくつかある事績のうちのひとつにすぎないものだけで、名が虚焦点である資格を失うわけではない。が、とにかく、ひとつで十分にそう意識されるのである。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952643865829388576
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Xユーザーの田中希生さん: 「こうした論理が適用されやすい条件がある。つまり、虚構を必要とする主体が想定される場合、さらにいえばその虚構がひるがえって主体を「正当化」する場合である。そして学者はただちにそうした主体をみつける。権力者である。権力者はつねに権力の「正当化」の必要を感じているとみなされている。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952644533340016831
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Xユーザーの田中希生さん: 「つまり、権力者は縦横に虚構を用いて自身の権力を正当化する、とされるのである。たとえば大日本帝国なら虚構としての神武天皇ということになる。こういう理屈を、歴史学者は山ほど用いている。虚構から逆照射されたにすぎない「名」に不在の烙印を押し、その理由を権力の正当化だというのである。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952645952944369735
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Xユーザーの田中希生さん: 「この種の紋切り型の歴史観を、学者はなかなか克服できないのだが、ひるがえって、この論理を純粋に南京大虐殺に適用すれば、中国政府が自身の正当化のためにこの事件を必要とした、とみなすことはやろうと思えばできることである。しかし、もうすこしだけ考えれば、すぐにわかることがある。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952647242428641774
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Xユーザーの田中希生さん: 「どれだけ文献上で存在=名を否定しようと、もともと文献だけでほんとうの意味での《存在》まで否定することはできない、ということである。消せるのは「名前」だけなのである。出席簿から名前を消したら「いないことにできる」かもしれないが、いなくなるわけではない。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952647801214545949
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Xユーザーの田中希生さん: 「古代ローマには記憶抹消刑という最高刑があり、その刑に服したコンモドゥスという皇帝がいる。もちろん、書類上「いないことにした」だけであり、その名はいまや誰でも知ることができる。神武天皇も同じである。戦後この名はいわば「記憶抹消刑」に処せられているが、いないことにできるだけである。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952648844224995533
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Xユーザーの田中希生さん: 「ほんとうの歴史家(歴史学者ならぬ)は、いないことにしたり、いることにしたりするような、そうした「見なし」の歴史には関わらない。なんらかの徴が少しでもあればそこに存在を認めようとする、徹頭徹尾、《存在の歴史学者》なのである。芋虫のフンをみつければ、近くに蝶がいるはずだと思うのだ。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952650272628466170
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Xユーザーの田中希生さん: 「文献に穴が開くまで見つめて存在に至るまで徹底したら、あとはまた登っていくだけである。「なかった」といい「正当化」というが、なんのために「正当化」するのか、なぜ当時誰もそれを否定しなかったのか、そうした文献が存在しなかったのはなぜか、などなど、あらためて考えていけばいい。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952651682166485061
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Xユーザーの田中希生さん: 「一度でいいから、芋虫のフンが落ちているような大地まで降りてみれば、あとは歴史は存在の(不在ではない)ための歴史学にしかなりえない。異民族相手の戦争において、ひとはほとんどかならず虐殺する。南京大虐殺はなかった、というのはもともときわめて困難(不可能)なのである。」 / X, , https://x.com/kio_tanaka/status/1952652636211253637
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Xユーザーの河野有理さん: 「これはその通りで、最近は歴史修正主義と歴史否認主義との区別がしばしばいわれるようになったが、どの場合が修正でどの場合が否認なのか、歴史家の説明も実は「そういうことになってるから」以上を出ないのがほとんどで、それはほとんどニヒリズムそのものではないかと思う。」 / X, , https://x.com/konoy541/status/1952908017437123051