[43] 河北町誌 上巻, 河北町誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569712/1/221 (要登録) /239
[15] 千葉県史料 中世篇 香取文書, 千葉県史編纂審議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/251 (要登録)
[29] 下野国を中心に分布するとされていました >>217 (>>4) が、 千々和到が岩手県水沢市正法寺の年譜正法寺年譜往山記 や宮城県川北町の永喜2年板碑にあることを紹介して、 永喜が陸奥まで伝わったことが明らかとしました。 >>217 (暦と改元, ) 更には日本私年号の研究にも岩手県江刺市西光寺木造阿弥陀像墨書銘の 「永喜二年丁丑霜月吉日」 が掲載されています。 >>217
白黒写真あり
[17] 小山市史 史料編 中世, 小山市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641947/1/399 (要登録) /522
[7] 小山市史 通史編 1 (自然.原始・古代.中世) 本編, 小山市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643282/1/444 (要登録)
[11] 小山の文化のあゆみ : 小山市立博物館常設展示解説, 小山市立博物館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643035/1/27 (要登録)
[26] 下野 小山市 須賀神社蓬莱文和鏡縁針書銘に永喜二年 (大永7年) の用例があります。 >>207
[27] 下野 日光市 二荒山神社施入刀身銘に永喜二年 (大永7年) の用例があります。 >>207
[28] 当時日光山の他の記録では公年号が使われており、 伝播による偶発的知識での使用例と考えられています。 >>207
[14] 和泉国日根郡熊取谷中家文書目録 によると中家文書 信達荘納帳 に永喜元年とあるとのこと。 >>13 p.256
[18] 泉南市史 通史編, 泉南市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9576401/1/128 (要登録)
[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 永喜 永亀 大永6年(1526年) 2 『旧案主家文書』(『香取文書』)、『会津塔寺八幡宮長帳』など
[8] 軍記と語り物 : 軍記・語り物研究会機関誌 (15), 軍記・語り物研究会運営委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4413412/1/10 (要登録) 右上
>>6 を引用
[9] 重要文化財会津塔寺八幡宮長帳, 是沢恭三, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3001042/1/70 (要登録)
永龜元年丁亥正月8日
[16] 栃木史学 = The Tochigi journal of Japanese history (2), 国学院大学栃木短期大学史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4424952/1/83 (要登録)
[12] 考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 14(8)(295), 日本考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3548310/1/28 (要登録)
[19] 関城町史 史料編 3 (中世関係史料), 関城町, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643412/1/79 (要登録)
[20] 平泉町史 史料編 1, 平泉町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9571397/1/100 (要登録) 左
[21] 栃木県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第2輯, 栃木県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1143666/1/136
[22] 宮城県史 第17 (金石志), 宮城県史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2992580/1/254 (要登録)
[23] 千葉県史料 金石文篇 2, 千葉県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641486/1/250 (要登録)
[24] 千葉県史料 金石文篇 3 補遺, 千葉県企画部県民課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/79 (要登録)
[25] 茨城県史料 中世編 3, 茨城県立歴史館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644436/1/53 (要登録)
[30] 島根県文化財調査報告 第1集, 島根県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2508728/1/46 (要登録)
鉄塔から発見された経塔。
[35] 大永7年の15個のうち、4個が永喜2年です。永喜元年はありません。
[36] 国は日本全国に散らばっています。全国からの来訪者がこの地で書いたものでしょうか。
[37] 元号がないものもあり、大永8年と推定されています。
このような表記は異例で、考えさせられます。
元号があるものもちゃんとあります。
こちらは大永7年。これは年号上部欠損とされています。
[39] 大永7年で月がわかるものは年の前半
[40] 文學論叢 = Literary symposium (21), 愛知大学人文社会学研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4430257/1/21 (要登録) 左
釈順西奥書本無明法性合戦状 永喜二年
[41] 004-85-06.pdf, , https://hu.repo.nii.ac.jp/record/1165/files/004-85-06.pdf #page=14
[42] 岩手の歴史論集 2 (中世文化), 司東真雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9538754/1/283 (要登録) 左
[45] 日本古文書ユニオンカタログ - 詳細, https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20140401000632?dispid=disp01
【管理番号】 XA000000430002
【和暦年月日】 (大永7年)3月(15270030550)
【文書名】 小林胤治年貢免除状
【詳細内容】 ○永喜二年は私年号で、大永七年にあたる。