張六

張六

長禄の変

[9] 日本国奈良県吉野郡川上村金剛寺を訪問した研究者の滝川政次郎によると、 「自天勝公宮」 の扁額の裏書に 「長禄九冬十二月二日謹書、北畠中納言具教(花押)」 とありました。 >>72

[10] 金剛寺後南朝二の宮 (一の宮自天王の弟) の御座所でした。 扁額川上村大字 () (かり) の名家伊藤氏の旧蔵です。 >>72

[11] 滝川政次郎によるとこの裏書は真っ赤な贋筆です。 というのも、 後南朝に仕えたのは北畠教具です。 他に北畠具教もいますが、時代が合いません。 伊藤氏の祖先が自天王の旧跡を川上に持ってくるため偽作したと推測されます。 >>72

[12] 長禄は4年で終わっており、 奥山かつ後南朝勢力下で改元伝達の遅延があったとしても、 5年の延長年号は遅れすぎです。 しかも9年だとしても、元年の誤りだとしても、 干支年が合いません。

[15] この付近の丙寅年

と時代も年数元号名も大きく離れています。

[18] 金剛寺の後方、石段を上がったところには河野宮 (二の宮) 御墓があります。 河野宮御墓は従来一の宮自天王尊義王の墓として川上村で守られてきましたが、 明治時代宮内省二の宮河野宮の墓に治定しました。 >>72

[19] 河野宮御墓の玉垣内には宝篋印塔が2基あり、 「長禄元年十二月二日」と刻まれているとされますが、 滝川政次郎はよく見えなかったとしています。 >>72

[20] この長禄元(1457)年12月2日は、 宮が赤松の残党によって殺された日とされています。 >>72 この事件は長禄の変と呼ばれています >>21

[22] 日本国奈良県吉野郡上北山村滝川寺の本堂の裏山に自天王の御墓があります。 石碑があり、

とあります。 >>72

[26] 長禄への改元康正3(1457)年9月28日です。 康正3年12月2日はすなわち長禄元年12月2日です。 後の時代 (享保) になってわざわざ旧年号に書き換えることは、 まったくあり得ないとは言えないまでも、普通はしないでしょうから、 何らかの過去の記録に「康正三年」と書かれていた可能性が高いでしょう。 すなわち、長禄の変の当時この地域では「康正三年」が使われていた可能性があります。

[27] 滝川政次郎滝川寺の本堂で、 延徳2年3月の自天王の33回忌に北山の郷士30人が書写した大乗経を閲覧しました。 その奥書には、 「南帝崩 臘月二日夜赤松凶徒弑奉ル」 とありました。 >>72

[28] 元号年なく、干支年らしき非妥当干支だけが書かれています。 丁丑年の誤りだとすれば、まさしく長禄元年丁丑12月2日を表します。

[29] 元号がないのは意図的でしょうか。 日本南北朝時代の日時

[30] ところで33回忌に云々という事情も大乗経奥書に書かれているのでしょうか。 残念ながら滝川政次郎はその事情を知った経緯までは書き残してくれていません。

[31] 日本外史講義 上, 河村北溟 述, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/770466/1/200

[32] >>31 長禄の変のことを戊寅ノ歳長祿九年と書いています。 そして何行かあって次が丙寅ノ歳文安二年と書いています。

[33] これが直接川上村の遺物に関係しているとは思われませんけど、 あるいはこういう資料を元に作って誤ったという可能性もあるでしょうか。

長禄の延長年号

[6] 長禄延長年号 中世私年号


[38] 新井白石全集 第五, 国書刊行会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/990985/1/351 (要登録) 右上

長禄9年 (干支なし)

[39] 大日本地名辞書 上巻 二版, 吉田東伍, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2937057/1/883 右上

長禄9年 (干支なし)

[42] 日本随筆大成 㐧三期 㐧六巻, 日本随筆大成編輯部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1914187/1/344 (要登録) 右

長禄9年 (干支なし)

[43] 尾三郷土史料叢書 第5編, 愛知県教育会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1243481/1/161

長禄9年 (干支なし)

[44] 吉川村郷土誌 第2輯, 吉川村編輯部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1056924/1/70

長禄9年 (干支なし)

[45] 豊島区史, 坂本辰之助, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1042113/1/57 (要登録) 右

長禄9年 (干支なし)


[47] 歴史研究 = Journal of historical studies (25), 大阪教育大学歴史学研究室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7938715/1/21 (要登録) 左

長禄9年卯月22日付長逸判物


[41] 大日本史料 第8編之9, 東京大学史料編纂所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450591/1/302

長祿九年を文明9年の誤りと解釈している模様


長祿九丁丑の年四月八日」 (明朝体)

[35] >>34 >>36 >>37 明らかに「元」の誤り

[40] 布教大辭典, 田淵静縁, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1085751/1/152 左下

長祿九丁丑の年四月八日

[7] 江差町史 第5巻 (通説 1), 江差町, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9570777/1/48 (要登録)

[8] >>7 右に「長禄九年」、左に「長禄元年」。誤植でなければ、 「元」を「九」に誤写して伝わったものか。

長録

[49] >>48長禄とする箇所が多いですが、2箇所「長録」 (明朝体) と書いています。 同じページでも混在しています。 誤植と思われます。 天請, 明応

張六

[1] 香取文書纂 巻之12, 伊藤泰歳, 村岡良弼 校, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/815210/1/5 (要登録)

[4] 千葉県史料 中世篇 香取文書, 千葉県史編纂審議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/236 (要登録)

[3] 日本担保法史序説, 小早川欣吾, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1272256/1/131

[2] 日本私年号の研究

[5] 仮名書年号

メモ

[46] 日本橋駿河町由来記, 駿河不動産, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3010393/1/15 (要登録) 左下

長禄元年丁己