広布決戦場

冨士大石寺顕正会の日時

[2] 冨士大石寺顕正会も参照。

[1] 冨士大石寺顕正会は主に日本の元号を使っているようです。

[5] 機関紙顕正新聞の日付欄は日本の元号西暦を併記しています。 >>4, >>3

[6] 顕正会年表 (私家版), , http://sakuragawa.qee.jp/k/m/timelinemenu.html

令和02年「広布決戦場元年」(1/01)

[7] >>6 この広布決戦場元年スローガン的元号のようなものと思われます。 >>6 は教団外のサイトで、教団側の用例は未発見です。教団側で使っていない表現なのか、 ウェブ上で現在見つけられないだけで使われてはいるのかわかりません。

[10] >>8 >>9 のように教団側では 「広布決戦場の第3年」 のような表現をしています。

[11] 多くのスローガン的元号元年だけで終わるのに対し、これらは第2年以後も数え続けられている、 私年号寄りの表現であることがわかります。 また、年頭に「第年を迎えて」と表現しているので、 周年よりも紀年法寄りの表現といえます。 ただ 「広布決戦場の第3年1月2日」 のような表現は未発見で、そこまで紀年法として成熟するには至っていません。 「5箇年計画の第4年」という表現に近しい位置にあります。

[12] >>8

今回は、顕正新聞令和4年1月5日号(新年号)を取り上げたいと思います。

そして「御入滅七四一年の新春を迎う」の大見出しを拝しては粛然とし、広宣流布・国立戒壇建立への一層の決意が込み上げます。

[13] >>12 「御入滅741年」は開祖の日蓮の死去からの年数。 日蓮弘安5(1282)年10月13日死去、 を第1年としたときが741年。

[14] >>8

広布決戦場の第三年を迎えて

冨士大石寺 顕正会 会長 浅井昭衞

それにしても、広宣流布の決戦場たる20年代に突入するや、世界の混乱のテンポは何と早くなってきたことか。

新型コロナが騒がれ出したのは、2020年の初頭であった。

だが今の日銀は、株価維持のために日本株を大量に購入している。同じ理由で国債も保有し、その額は21年7月末で504兆円にも上っている。このような中央銀行は世界で日銀しかない。

令和四年元旦

[15] >>14 西暦年西暦2桁年号元号年が混在しています。 教団は仏教系であってキリスト教ではありませんし、 政治思想的には右翼系のようですが、 「会長」からして西暦を普通に使う程度の温度感のようです。

[16] このように1つの文章でも紀年法が混在するのは日本の一般の文章でもよくあることで、 この教団はその面では特異性がないということです。

[17] この教団は >>14 や他の文章で 「広宣流布の決戦場たる20年代」 と表現しています。この「20年代」は西暦2020年代の意味のようです。 が第3年なので、 正しくが第1年で、 ちょうどこの教団の教義上重要な10年間に当たるのでしょう。

[19] 平成27年10月度総幹部会, 櫻川 忠, http://saku.nows.jp/1/index.php/9-2013-04-03-06-08-10/150-27-10

そして、十月における最も大事な儀式は、申すまでもなく、御大会式でありました。

本年の御大会式は、大聖人仰せの「前代未聞の大闘諍」と「他国来難」が刻々と色を増す中での奉修であれば、二〇年代の広布決戦場を見据えて、一段と新たな決意が込み上げたものであります。