寶壽

寶壽

[11] 百家叢説 第1編, 田辺勝哉, 井上頼圀 校訂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1087688/1/46 (要登録)

[13] 栗里先生雑著 : 一五巻 下, 栗田寛, 栗田勤, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1087995/1/221

[7] 古事類苑 歳時部2, 神宮司庁古事類苑出版事務所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/897572/1/111

[9] 骨董雑誌 2(4), 骨董雑誌社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1506258/1/19 (要登録)

[6] 集古会誌 丙午(1), 集古会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1588986/1/3 (要登録)

異年号 寶壽二年今月今日

[4] 考古界 6(8), 考古学会, 集成堂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11185700/1/30 (要登録)

南佐久郡畑村 発見

寶壽二年今月今日

天文年間に配置されているが、天文二十年銘と同じ村で発見としか説明なし

[12] 考古界 5(6), 考古学会, 集成堂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11185686/1/18 (要登録)

異年号 2年=天文20年

[8] 鏨工譜畧, 栗原信充 輯, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3440325/1/14 (要登録)

関東ではそう書いた

[15] 小県郡史 余編, 小県郡, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3440461/1/312 (要登録)

異年号 皇紀2212年

[2] 能登志徴 : 森田平次遺稿 下編 - 国立国会図書館デジタルコレクション, , https://dl.ndl.go.jp/pid/9536040/1/169

[1] 刀剣史料 (46), 南人社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/8099939/1/8 (要登録)

関兼貞 刀銘 宝寿元年 (校正古刀銘鑑)

天文2年の私年号

[3] 刀剣と歴史 (431), 日本刀剣保存会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7901125/1/21 (要登録)

関兼貞 刀銘 宝寿元年 (校正古刀銘鑑)

天文2年の私年号

美濃の凶年の縁起かつぎか

[5] 考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 24(12), 日本考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3548437/1/8 (要登録)

(後の日本私年号の研究)

[17] 市原市史 中巻, 市原市教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643783/1/104 (要登録)

[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

私年号異説元年相当公年号(西暦)継続年数典拠・備考
宝寿-天文2年(1533年)2長野県佐久穂町出土経筒銘、『古今金工便覧』
[227] 石井良助『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』における〝私年号〟 - 「魏志倭人伝」への旅 ブログ版, hyenanopapa, , https://hyenanopapa.blog.fc2.com/blog-entry-1862.html

石井良助『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』p217

たとえば、甲斐、常陸、陸奥、相模、下総などで行なわれた福徳(元年が延徳二年に当たる)、薩摩地方で行なわれた福伝(元年が延徳二年に当たる)、甲斐、常陸、会津地方で行なわれた弥勒(元年が永正二年に当たる)、甲斐に行なわれた宝寿(元年が天文二年に当たる)のごときこれである。改元を奉じないで古い年号を用いた例もある。たとえば、文明三年を享徳二〇年と記したごときこれである(享徳と文明のあいだには、康正、長禄、寛正、文正、応仁がある)。

[659] 歴史の見かた, 和歌森太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12148751/1/78 (要登録)

[20] >>227 は甲斐で使ったと書いており、 >>659 は甲斐や関東で使ったと書いている。 これらはいずれも福伝という出典不明の私年号を紹介する同じ系統の昭和時代の文献群に属し ( 福伝 )、記述は疑わしい。


[16] 保寿


[14] 福島の民俗 2, 福島市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9538176/1/261 (要登録)

自ら彫られた不動尊(宝寿二年とか)を厄除不動尊と命名。時の天皇に献上した後、北畠顕家の家臣橘義

他の宝寿との関係は不明、誤記・誤植でないのかも不明