福伝

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[12] 幽霊元号

[227] 石井良助『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』における〝私年号〟 - 「魏志倭人伝」への旅 ブログ版, hyenanopapa, , https://hyenanopapa.blog.fc2.com/blog-entry-1862.html

石井良助『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』p217

たとえば、甲斐、常陸、陸奥、相模、下総などで行なわれた福徳(元年が延徳二年に当たる)、薩摩地方で行なわれた福伝(元年が延徳二年に当たる)、甲斐、常陸、会津地方で行なわれた弥勒(元年が永正二年に当たる)、甲斐に行なわれた宝寿(元年が天文二年に当たる)のごときこれである。改元を奉じないで古い年号を用いた例もある。たとえば、文明三年を享徳二〇年と記したごときこれである(享徳と文明のあいだには、康正、長禄、寛正、文正、応仁がある)。

[10] >>227 には「昭和57年の刊行で」と書かれているので、そちらの版を参照したものか。

[2] >>1 コメ欄 昭和25年上梓, 珈琲はキリマンジャロ, January 13, 2021

本書は、1907年生まれの著者が1950年に上梓し、1982年に山川出版から刊行されたものを原本としています。

[11] 30年も眠らせておいたということはないだろうが、昭和25年にはどこで公表されたものだろうか?

[3] 日本史上の天皇 - 水戶部正男 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=PHU6AAAAMAAJ&q=%22%E7%A6%8F%E4%BC%9D%22+%E2%80%9D%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%22

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... 私年号が行なわれていた。福徳(元年は延徳二年)、福伝(同上)、弥勒(元年は永正二年)、宝寿などこれであり、また改元があっても古い年号を依然として用いた場合もあった(享徳二十年=文明三年)。朝廷だけでなく幕府の政治的権威も喪失したことを物語る現象 ...

[13] 日本史上の天皇, 水戸部正男, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2980181/1/96 (要登録)

[659] 歴史の見かた, 和歌森太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12148751/1/78 (要登録)

[4] 王と天皇 - 赤坂憲雄 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=1e8zAQAAIAAJ&q=%22%E7%A6%8F%E4%BC%9D%22+%E2%80%9D%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%22

187 ページ

... 私年号を唱え、世直しや徳政への熱い願望をそこに託したとしても、それが私年号で ... 福伝」(延徳二年、薩摩)、「弥勒」(永正二年、甲斐・常陸・会津)、「宝寿」(天文 ... 私年号の基底に、弥勒仏出現を待望する世直し的意識構造が存するといえる ...

[5] 内容から見てすべて同じ系統か。 >>227 が一番古そうである。

[6] 「福伝」「福傳」を使った史料は皆無で、元号を専門とする研究者による言及も皆無、 「延徳2年」「薩摩」という特徴からみて、 永伝の誤記 (福徳との混同) で発生した実在しない私年号の可能性が高い。

[7] なお宝寿の記述も疑わしい。 宝寿

[8] 論旨に大きく影響しない例示の1つ2つに過ぎないとはいえ、 論者の事実認識と記述の正確性を疑うに足る大きな誤りであるし、 後続の文献の著者らは情報の裏とりもせず (かといって出典も明確にせず) 先行文献の怪しい記述をコピペして論じていることがバレてしまったわけで、 情けない話ですな。

[9] >>659 に至っては元号廃止の政治活動の材料に使ってる、 という本当に酷い事案。