奥津保古図

奥津保古図

[1] 東櫻谷志巻頭カラー第三ページ目に、 「奥津保古図 佐久良・北川家蔵」 としてカラーで収録されています (口絵解説 p.790)。

[3] 紙面に収まるサイズに縮小されているため、読み取りづらい箇所もあります。

[4] 椿井文書⸺日本最大級の偽文書 p.99 に, 「図26 「奥津野保左久良十七郷摠 絵図」 (アキなし日野町内遺跡詳細分布調査報告 アキなし)」 として白黒で収録されています。

[5] 白黒で縮小されていて詳しく読み解くのは困難です。

[6] 見た感じ同一の原図の写真と思われます。

[8] 東桜谷志 p.86, p.614 に、 北川家絵図の小野村部分を拡大した白黒写真があります。

[9] 元図は文龜元辛酉年四月二十日に書かれたものだとありました。 >>1

[10] 文亀元(1501)年2月29日改元されたものなので、 文亀元(1501)年4月20日遡及年号に当たります。椿井文書によくみられる特徴です。

[11] >>1

興福寺領近江

國蒲生郡長寸郷

奥津野保左久良

十七郷摠繪圖

元圖

文龜元辛酉年四月

二十日書之云々

今以其圖省畧大概

冩画之畢

晨勝院越前竪者

淂業生懐映正隆冩之

[7] 東桜谷志 p.45 では、 左久良北側武次家に伝わる桜谷古図、 と紹介されていました。

[85] 本絵図は Web では検索しても文亀元年と説明しているページしか出てきませんが、 書写されたのは江戸時代です。

[12] 本絵図は椿井文書です。 椿井文書⸺日本最大級の偽文書 p.100 では椿井文書の事例として紹介されています。

[2] 関連記事: 鬼室集斯墓碑, 大内時頼, 淡海温故録