[1]
東櫻谷志巻頭カラー第三ページ目に、
「
[3] 紙面に収まるサイズに縮小されているため、読み取りづらい箇所もあります。
[4]
椿井文書⸺日本最大級の偽文書 p.99 に,
「
[5] 白黒で縮小されていて詳しく読み解くのは困難です。
[6] 見た感じ同一の原図の写真と思われます。
[8] 東桜谷志 p.86, p.614 に、 北川家絵図の小野村部分を拡大した白黒写真があります。
[9] 元図は文龜元辛酉年四月二十日に書かれたものだとありました。 >>1
[10]
文亀元(1501)年
興福寺領近江
國蒲生郡長寸郷
奥津野保左久良
十七郷摠繪圖
元圖
文龜元辛酉年四月
二十日書之云々
今以其圖省畧大概
冩画之畢
晨勝院越前竪者
淂業生懐映正隆冩之
[7] 東桜谷志 p.45 では、 左久良の北側武次家に伝わる桜谷古図、 と紹介されていました。
[85] 本絵図は Web では検索しても文亀元年と説明しているページしか出てきませんが、 書写されたのは江戸時代です。
[12] 本絵図は椿井文書です。 椿井文書⸺日本最大級の偽文書 p.100 では椿井文書の事例として紹介されています。