天星元年

天星 (香港)

[2] 香港人Maggie Leung とその友人は天星元年と呼んでいたことがありました。 >>1

[3] Maggie Leungに回想して、冗談交じりで「天星元年」 といっていたと書き残しました。 >>1

[4] 本気で日時表示の用に供したのではなさそうですし、 これを使った日時表示が実在したのかは不明で、 どちらかといえばスローガン的元号に近い性質のものかもしれません。

[5] しかし政治的運動に付随する建元元号的なるものから生み出される時空観念の示唆 >>1 は、本来の元号の性質に近いものともいえます。 私年号といえる段階にまで達したものではないとしても、 いったん元号の伝統の途切れた香港の地で元号が自然発生しつつあったという事実は興味をそそられます。 更にこの数年後に香港では開埠紀年が成立することになります。

[6] 天星とは天星碼頭 (Star Ferry Pier) を指します。 天星碼頭には香港島九竜半島とを結ぶ天星小輪 (Star Ferry) が就航しており、 かつては交通の要衝で、自動車道が発達してからも観光名所かつ香港の象徴的な地位の場所でした。 天星碼頭の側には皇后碼頭 (Queen's Pier) がありました。

[7] 中華人民共和国は、香港英国から割譲された後、 開発計画により天星碼頭および時計台皇后碼頭の改廃を企てました。 香港人はこれに反対する運動をから行いましたが、 には強制排除されました。 天星元年はこの反対運動の中で生まれたものでした。

[8] 反対運動は十分な成果を出せませんでしたが、 香港人のアイデンティティーを育むこととなり >>10雨傘革命などその後の民主化運動へとつながっていきました。

[1] 既然活著,就再試一次:末日回顧,或在主場重生 | Maggie Leung | 獨立媒體, Maggie Leung, 週六 2012-12-22, , https://www.inmediahk.net/%E7%A4%BE%E9%81%8B/%E6%97%A2%E7%84%B6%E6%B4%BB%E8%91%97%EF%BC%8C%E5%B0%B1%E5%86%8D%E8%A9%A6%E4%B8%80%E6%AC%A1%EF%BC%9A%E6%9C%AB%E6%97%A5%E5%9B%9E%E9%A1%A7%EF%BC%8C%E6%88%96%E5%9C%A8%E4%B8%BB%E5%A0%B4%E9%87%8D%E7%94%9F

「本土」正正就是「在殖民者之間」(語出周蕾”Between Colonizers”一文)的虚位。我和朋友們都戲稱二零零六年是「天星元年」,這也是巴迪烏說的,歷史事件的發生必然開創其時間和空間,我們就是「天星」那一代人,這個不斷壯大的集體主體叫「八十後」,「我城」成為主語象徵了主體和空間的同時誕生。當然,自此之後,一路上遇到不同年紀的同路人,各自都在不同的時空因不同的事受到不同形式的感召(call)。巴迪烏說有四種處境可以讓人成為主體:解放式政治(emancipator politics)、概念性科學(conceptual science)、愛戀(amorous love)和創造性的藝術(creative art)。舉個例,天星之後廣大的社區保育與民間規劃運動裏的各種論述,也包括了充權/反霸權,人民規劃;空間建築、設計與規劃技術上的可能性;社區網絡、人情味的重要性;地區文化的美和內涵。這些處境之外、與真理無關的話語,巴迪烏稱之為意見(opinion)。意見以溝通和認同為目的,比如重建區裏有些人因為收購價太低而反對計劃,而價錢是可以商量的--我想起了反高鐵運動裏最有力量的口號「家可以千秋萬代,錢只是過眼雲煙」。

[9] 天星日本の私年号にもありますが、無関係です。 天晴