[14] 天降紀元 (y~1802) は、 日本で使われる紀年法の1つです。
[15] 元号名スロットに使われる名称に、 天降紀元、 天降、 天孫降臨以來といった例が見られました。
[16] 「天降(あもり)紀元」 とする例もあり、 「あもりきげん」 と読むものと思われます。
[21] 西暦年に 3000 を足したものが天降紀元年となります。
[19] 日本の極右活動家の備中處士が、 Web や SNS で使っています。 大抵は日本の元号や皇紀との併記で、 改まった場面で使われるようです。 本文では日本の元号だけが使われることが多いようです。
[20] Web 以外で使われるかは不明です。 他の人の用例もみつかっていません。
[25] 本項執筆時点で確認できる最新の用例は令和2(2020)年のものです。
平成二十一年、皇紀二千六百六十九年、天皇正月、歳、己丑に次る新春を壽ぎ、謹んで聖壽の萬歳を祝ひ奉り、竹の園生の彌榮を懇祷し、併せて塾頭はじめ、皆樣の道福を祝祷申し上げます。
さて、本年は、 平田大壑先生『弘仁歴運記考』の算定に因れば、天孫降臨以來五千六十九年、 角田忠行翁『古史略』に據りますと、天降五千九年 の由であります。
此の神武天皇「中興紀元」二千六百六十九年、即ち今上天皇の天の下しらしめし給へる平成二十一年二月十一日、天津日の本つ御國の大旆を高く掲げて、天神・地祇・山川草木を始め奉り、諸人と共に擧りて祝ひ奉る大勢であるのか、無いのか。
【試算/紀元2669平成21年2月11日を規準として換算】 ◎=太陽暦/○=太陰太陽暦/●純粹太陰暦 ○太陰太陽暦=平成21年1月17日(天保壬寅元暦。所謂舊暦。支那では時憲暦) ○神武天皇太歳甲寅紀元=2676年1月17日(日本書紀) ○天孫降臨紀元=1795153年1月17日(日本書紀・伊勢古傳。一説=5009年) ○日本・佛滅紀元=2959年1月17日(釋迦牟尼入滅) 日本・佛教紀元=2575年(釋迦牟尼生誕) ◎支那・黄帝紀元=4707年2月11日(黄帝即位) ○支那・孔子生誕紀元=2560年1月17日 ○支那・孔子逝去紀元=2487年1月17日 ◎臺灣・中華民國紀元=98年2月11日(辛亥革命翌年) ○朝鮮・檀君紀元=4334年(檀君即位) ◎北鮮・主體(チユチエ)紀元=98年2月11日(金日成生誕) ○泰・佛滅紀元=2551年11月17日(釋迦牟尼涅槃) ○西藏(チベツト)・時輪暦紀元=2135年12月17日 ○バリ・佛紀元=1930年8月3日 ○印度教暦紀元=2065年 印度・サカ紀元=1930年 コンスタンチノープル紀元=7517年 アレクサンドリア紀元=7501年 ○フリーメーソン紀元=6009年 ○猷太創世紀元=5769年5月18日(天地創造) ◎オリンピア紀元=2785年(古希第1回オリンピア開催) ◎羅馬(ローマ)紀元=2762年2月11日(ロムルス王建國) ◎イラン・アケメネス紀元=2534年2月11日(キユロス王建國) マケドニア紀元=2320年 西班牙(スペイン)紀元=2047年 ◎基督體現紀元=2009年2月11日(グレゴリオ暦) エチオピア紀元=2001年6月4日 ●囘教(ヒジユラ)紀元=1430年2月16日(モハメツト聖遷) ◎義蘭(イラン)・波斯(ペルシヤ)紀元=1379年(モハメツト聖遷) ‥‥‥‥‥‥等々
平成二十四年壬辰歳は、皇紀2672年、天降(或は中興)5012年なり矣。「天地も昔に變らず、日月も光を改めず。況んや三種の神器、世に現在し給へり。
■『日本書紀』神武天皇御紀に曰く、
●『倭姫命世記』に曰く、
――愚案、然らば、御紀の「餘歳」は、七年なること、疑ひ無し。
●平田大壑先生『弘仁歴運記考』に曰く、
――愚案、然らば、平成二十四年は、天降4996年ならむ。
●平田大壑先生『春秋命歴序考自敍』に曰く、
――愚案、然らば、平成二十四年は、天降5019年ならむ。
●眞爾園竹屋大國仲衞藤原隆正翁『新眞公法論』に曰く、
――愚案、然らば、平成二十四年は、天降5154年ならむ。
●熱田神宮大宮司贈從四位・鎭石室角田由三郎紀忠行翁『古史略』(文久二年七月)に曰く、「
●友清磐山大人『靈學筌蹄』に曰く、
――愚案、註イ=神仙傳『年代記』は、角田忠行翁『古史略』と、ほゞ同じ紀年の御由であるが、『古史略』には、彦穗々出見尊の壬辰年から辛未に至る、「五百八十年」御在位とあり、十八と八十と、或は誤記ならむか、或は誤算ならむか、得て知るべからざるなり。
――註ロ=田中洗顯翁云「干支から計算するに、實は五百二十年、先師(磐山大人)の誤算」と。又た田中翁『天孫降臨』云、「天孫降臨五千年は、平成十二年なり矣。天降三千年を西暦の紀元と爲す、西暦には、或る程度の神縁があるが如し。先師は、所謂る新人を人間と認むるが如し。猿人は勿論人間に非ず、舊人も亦た人間に近くなつて來てゐるものゝ、未だ人間とは謂ふべからず」と。是れ丁度六十年の差あり。
――然らば、平成二十四年は、天降5012年ならむ。而して今、之を採れり。
平成 二十六年 中興紀元 二千六百七十四年 天孫降臨以來 五千十四年 天皇正月、歳、甲午に次る、元旦を壽ぎ、謹みて、 聖壽の萬歳を祝ひ奉り、竹の園生の彌榮を懇祷し、併せてご閲覽各位の道福靈健を祝祷申し上げます。
舊稿にて、天津彦火瓊々杵尊の天孫降臨の年代を恐察し、謹みて、平成二十七年は、天降(あもり)紀元(或は中興紀元)五千零十五年に當ると云ふを紹介せり。此は、平田大壑先生を承けし、角田忠行翁・友清歡眞大人・田中洗顯翁の説を拜承しての言擧げなり。
これに屋上、屋を架ねて、暦法の研究の一端として、こゝに書き置きたい。
●氣吹舍塾藏版『古史年歴編略』御歴代(慶應三年)──平成二十七年=天降五千七十五年説
●宮地堅磐大人『神典圖説或問』に曰く、
●東嶽宮地嚴夫大人『君子不死之國考』に曰く、
天降五千六年 紀元二千六百六十六年 平成十八年丙戌三月二十七日 備中處士 謹拜
平成紀元 二十八年 中興紀元(皇紀) 二千六百七十六年 天降(あもり)紀元 五千十六年 天皇正月、歳、丙申に次(やど)る、元旦、大御代新春の御慶び、芽出度く申し納め候ふ。更めて謹み、 聖壽の萬歳を祝ひ奉り、竹の園生の彌榮を懇祷し、併せて御閲覽各位の福壽無量を祝祷申し上げ候ふ。
天降紀元五○一七年 中興紀元二六七七年 平成の第二十九歳丁酉 元旦
令和紀元 二年 中興紀元(皇紀) 二千六百八十年 神仙紀元(天降(あもり)紀・開國紀・肇國紀) 五千二十年 天皇正月、歳、庚子に次(やど)る、元旦、
[26] 奉祝紀元節──天壤無窮。 | ■□■九段塾/靖國神社の正統護持のために■□■ | 4334, https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/4334
奉祝紀元節──天壤無窮。 投稿者:備中處士 投稿日:2022年 2月11日(金)00時10分40秒
令和紀元 四年 中興紀元 二千六百八十二年 天降紀元 五千 二十二年 の「紀元節」を、謹みて祝ひ奉る。