匡正

匡正

[18] 匡正は、 日本の異年号の1つです。

用例

日時事例

[4] の記事です。

[5] 佐渡名勝志は、須田富守佐渡の諸資料を収集し編纂したものとされます。 この部分も佐渡国内の何らかの資料に由来するのでしょうか。

[6] 天正20(1592)年壬辰12月18日文禄改元されたのは史実であり、 12月18日は京都改元日です。この日付は島外の情報に由来するはずです。 編纂時の外部資料によるものか、公式の改元伝達改元日情報も含まれていたのかはわかりません。

[19] 天正20年7月28日の匡正への改元の情報は、著者が >>6 と同程度には信頼できると判断した物ということになります。 同一の資料に依拠したのかどうかは不明です。

諸説

[10] 匡正について着目した研究は見当たりません。

[11] 佐渡名勝志 は、他の公年号と同じように匡正改元日を記載しており、 一般の公年号改元と同じものと誤認したと推測できます。

[12] 当記事に相当する史実は知られておらず、単純な誤記、錯簡といった編集上の瑕疵では説明できません。 だとすると、

... の2つの可能性が考えられそうです。

[15] 7月28日という具体的な改元日まで記載されていますが、 元亀4(1573)年7月28日天正への改元日であり、 これが元ネタの可能性があります。

[16] 天正は同時代の他の元号と比べても長く続いていました。 京都でも史実の年末の改元に向けてそろそろ改元をという動きがあったのでしょうし、 地方にもその噂が独り歩きしていた可能性があります。

[17] 改元日の一覧表などで天正が7月28日と書かれていたものが、 何らかの理由で天正とは別の匡正という元号名と結合した可能性もあります。

研究史

[7] 佐渡史書地誌である 佐渡名勝志匡正改元記事が収録されました (>>3)。

[8] 本書は他の公年号改元と同じように匡正も記載しているだけで、特に注釈などもありません。

[9] 令和時代に至るまで、匡正元号自体が学術研究その他で言及された事例は知られていません。

メモ