北爪真知夫

北爪真佐夫

[1] (きた) (づめ) () () () >>16 (-) は、 日本昭和時代後期から平成時代初期の社会学者です。

略歴

[11] (一説 >>16) に日本国群馬県勢多郡宮城村 (現在の群馬県前橋市) で誕生。 >>10

[17] 国学院大学文学部史学科卒業。 >>16

[12] 国学院大学大学院日本史学専攻修士課程修了。 >>10

[13] 宇都宮大学非常勤講師。 >>10

[14] 札幌学院大学 (改称まで札幌商科大学) >>10 人文学部 >>21 教授 >>10, >>21(退職札幌学院大学名誉教授 >>10, >>16。)

[22] 科研費基盤研究(A)の、 度から度の 「現代日本の地域社会形成と中小企業の展開に関する実証的研究〜地域比較を通して〜」 と度から度の 「新たな都市・農村関係の創造を探求する実証的研究」 に参画していました。 >>21

[15] に退職して群馬県に移住。 時点で群馬県前橋市在住。 >>10

[5] 死去し、 北爪恵子著作権を継承しましたが、 その後権利者不明となりました。 >>2

著作

[4] 著書に、 中世政治経済史の研究 >>20, >>18, >>19, >>10, 中世初期政治史研究 >>6, 文士と御家人 >>8, 中世前期の身分制と村落共同体論 >>16, >>7, 争乱期を生きぬいた頼朝と義経 >>10, >>3, >>2 があります。

[24] 共著に、 生活の公共性化と地域社会再生 >>25地域形成の思想 >>23 があります。

[30] からにかけて、 札幌学院大学の紀要に鎌倉時代前後に関する論文を数件発表していました。 >>29

元号と武家

[27] 元号と武家紀要掲載版 >>45, >>26 と、著書文士と御家人 >>8 収録版があります。

反元号活動

[31] 著書の文士と御家人は一見歴史学の学術書を装っていますが、 昭和時代後期の元号法制定 昭和の元号危機 当時に元号の存続への反対を表明した政治的な論文が収録されています。 過去の活動のみならず、 新規の歴史学的性格の強い論文 (に紀要で発表 >>27 後に本書に収録されたもの) にも、 その件に触れた (本筋と関係の薄い) 注釈を付けています。

[32] 歴史学的研究の成果を社会に還元する形の政治活動は必ずしも否定されるべきものではありませんが、 イデオロギー的背景をもった結論ありきの偏向した歴史研究ではないかと疑われるとすると、 その研究成果の利用は通常以上に慎重にせざるを得なくなります。 利用する側にとっても当人にとっても不幸なことです。

[40] 、 左翼作家の住井すゑ (-) の生前の旧居抱樸舎住井すゑの記念像の披露イベントが行われ、 北爪真佐夫天皇制と元号のテーマで講演しました。 >>39

[34] 特定非営利活動法人人権・平和国際情報センターなる活動家団体が開催したおとなの社会科見学 vol.1 と称するイベントで北爪真佐夫住井すゑさんと私、天皇制と部落問題と題して講演しました。 このイベントは、左翼作家の住井すゑの旧居で開催され、 講演の後に住井すゑの映像作品を鑑賞したり、 日本国憲法第9条をモチーフにしたと思われる「9」の字のクッキーを食べたりするものでした。 >>33

[43] 憲法9条を過剰に信奉する人々の集まりだったのでしょうか。 それとも憲法9条の粉砕のために食べて噛み砕く趣旨だったのでしょうか。 どちらにせよあまり聞いたことのない奇抜なイベントですね。

[36] 北爪真佐夫は生前住井すゑと親しかったのだそうです。 後者の講演は住井すゑと 「切っても切れない天皇制を元号という切り口」 で語るものでした。 >>33 前者の講演でも住井すゑとの思い出から元号天皇制の本題へと進んだようで >>39、 基本構成は同じだったのでしょうか。

[38] 住井すゑ部落差別問題に強い関心を持っていました >>37。 それを天皇制と結びつけるのは昭和時代中期・後期の左翼活動家らの間では一般的でした。 また、元号廃止主義者天皇元号の関わりを過剰に強調する傾向があります。 よって連想ゲーム的に住井すゑ元号に結びついたということらしいのですが、 生前の住井すゑ元号に関心を持っていたのかどうか、 Web 上にはそれを裏付ける情報はありません。 北爪真佐夫が自分のしたい話をしたということでしょうか。

[35] 前者の講演の主催者公式サイトのレポートには 「1979年(昭和54年)の元号法制定により法的根拠が無く、慣習によるものとなっている。」 とあり >>39、 史実とは真逆のことが書かれています。これはいったいどういうことでしょうか。

[41] ウェブ検索によると部落差別に反対する団体の中には元号に反対する活動に関与しているところがあるようです。 部落差別反対と元号反対の関係性は、支持者層の重なりという以上のものは見当たりません。 北爪真佐夫住井すゑとその支持者らが (講演会以外で) そうした活動に加担していたのかどうかは不明ですが、 やはり何かしらの親和性があったのでしょう。

[42] >>41 昭和時代卒業証書紀年法事件では、 「元号の使用は同和教育の推進を阻害する」 という謎の論理が公然と主張されていたらしいです。 今検索してもあんまり出てこないということは、 もうさすがにそんな意味不明な理屈を信じてる人は絶滅したってことですかねえ。

[44] 住井すえ関係については元号廃止も参照。

[39] 第7回 | 住井すゑの生涯, , http://www.ushikunuma.com/~sumii-sue/07.html

北爪真佐夫さんのお話

テーマ「天皇制と元号」

北爪真佐夫さんは、住井すゑさんの思い出から、元号・天皇制についてお話をされました。そのお話は予定の時間を超過し、1時間半にも及びましたが、参加された皆様は興味深く耳を傾けておられました。

その中で、時に印象に残ったお話を次に要約しました。

明治は、過去の選定に於いて、室町時代「長享」と決定の時の12の候補として顔を出していたが、落選している。江戸.時代に、「慶安」「承応」「天和」「正徳」「元文」「嘉永」「文久」「元治」の時に候補名となっていて、これは人気があることの証明であるが、反面、8回も落選しているので不吉だとして、明治(おさまるめい)と酷評された。

日本に於いて、元号が使われるようになったのは、大化(645)と考えられているが、その後空白時期があり、継続的に使われるようになったのは大宝律令(701)による。今のように、元号が天皇の一世一元になったのは明治憲法が定めた旧皇室典範による。その考えは古代中国の考え方で、皇帝は時間と空間を支配する者で、そのゆえ死の直前まで任務しなければならなかった。

大手新聞社各社は2004年(平成16年)と年号表示している。産経新聞だけは平成16年(2004年)と元号に重きをおいている。世界を見ても元号を使っているのは、日本が唯一で、これは1979年(昭和54年)の元号法制定により法的根拠が無く、慣習によるものとなっている。

(講演風景写真あり)

[33] 特定非営利活動法人 人権・平和国際情報センター(Human Rights and Peace Information Center JAPAN:HuRP), , http://www.hurp.info/event/otona/vol1/index.html

北爪真佐夫さん(元札幌学院大学教授)は、親しかったすゑさんのこと、すゑさんと切っても切れない天皇制を元号という切り口から、また、「橋のない川」に描かれた農民の生活について、部落差別について、自分の経験を交えて話してくださいました(以下に詳細)。

■プログラム

・北爪真佐夫さんのおはなし「住井すゑさんと私、天皇制と部落問題」

関連

源平合戦の元号改元伝達, 改元手続き

メモ

[28] 日本年号史大事典北爪真知夫とするのは誤り。