[1]
寛永通宝は、
江戸時代の日本で使われた貨幣です。
[2]
北海道や樺太のアイヌ人の交易によって周辺諸国にも移出されたとみられ、
各地に残存しています。
[3]
内満洲、外満州、カムチャッカなどで寛永通宝またはその模造と思われるものが保管・出土しています。
寛永国
[4]
外満州の一部の地域では、日本でいう明治時代初期の頃まで寛永通宝またはその模造と思われるものが流通していたとの記録が残ります。
寛永国
[21]
清国属国李氏朝鮮の所在した朝鮮半島 >>20, >>22
や清国占領下だった山東半島 >>20 でも發見されています。
[5]
清国占領下漢土の長江方面海岸部では、日清貿易で大量の寛永通宝が流通していました。
[8]
7月甲申、清国は、寛永通宝を禁止することにしました。
その経緯は次の通りです。
>>185
-
[9]
清の乾隆帝は、
寛永錢文が沿岸部で流通していることを聞き及んでいましたが、
最初は国内貨幣の俗称に過ぎないと楽観視していました。
-
[10]
ところが、そうではなく寛永通宝と明確に記載されていることを知りました。
貨幣に記載するのは元号名であると認識しており、
私鋳銭ならそれだけの罪だが、そうでないとなると大問題であり、
それが市場で両替の半分も混じるほど流通しているということで、
来歴を調べるように求めました。
-
[11]
その結果、吾妻鏡写本奥書に寛永3年とあることなど、
寛永は日本の元号であることが判明しました。
-
[12]
よって国内で違法に鋳造されたものではないとわかりましたが、
外国貨幣が国内を流通するのは問題であり、禁止することとしました。
[13]
ここで、乾隆帝が貨幣には元号名を記載するものと認識していることがわかります。
漢土の貨幣の多くは年号銭、つまり当時の元号名が刻まれています
(例外も多くあります)。
[14]
知らない元号の貨幣が存在するということは、
何者かが勝手に元号を建てて (中華世界の価値観だとこの時点で反乱に等しい)、
それを記した貨幣を鋳造し、市場に溢れさせるだけの影響力を行使していることになります。
[15]
それまで報告を受けていながら気にしていなかった乾隆帝が、
私鋳銭どころではない問題と驚愕するのも当然のことです。
[19]
平成時代の日本の研究者は、この出来事を、
中国の領内に反政府の国でもできたのかと大騒ぎしたという、
と紹介しています。
>>18
- [6]
清稗類鈔/018 - 維基文庫,自由的圖書館, , https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E6%B8%85%E7%A8%97%E9%A1%9E%E9%88%94/018#%E7%A6%81%E7%94%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AF%AC%E6%B0%B8%E9%8C%A2
- [20]
北の歴史・文化交流研究事業 : 中間報告 1993年度, 北海道開拓記念館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13316431/1/51?keyword=%E5%AF%9B%E6%B0%B8%E9%8A%AD (要登録)
- [185]
,
https://tohoku-gakuin.repo.nii.ac.jp/record/24322/files/20201119_emorisusumu.pdf
#page=8
- [16]
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/16004/files/KU-0150-20100125-04.pdf
#page=51
- [18]
XユーザーのHarunoyumeさん: 「@manju1635 「この国のすがたと歴史」(網野善彦・森浩一)にちらっと出てきたので気になってました。 この論文が読めて嬉しいです。 https://t.co/4E8uYFKWjW」 / X, , https://x.com/Harunoyume2/status/1013421991678754816/photo/2
[17]
現在の中華人民共和国では、この出来事が過激に脚色されて流布されています。
百度百科掲載記事では、
宽永通宝が中国全土に拡散し、
国民がこぞって利用するようになったところ、
「另立年号」の
(清国政府とは別の独自の元号を建てた)
銅銭が見つかって乾隆皇帝が激怒し、
調査した結果、
日本貨幣を禁止することになった、
と説明しています。
>>7
- [7]
日本钱在中国:小话宽永通宝_百科TA说, https://wapbaike.baidu.com/tashuo/browse/content?id=045b9b900d7576890832d8b2
明末战乱,货币贬值,宽永通宝这种来自异邦的货币悄然而来,因其多为红铜铸成,品质精良,因此受到了中国百姓的欢迎,自东部地区向全中国扩散,在中国的市场上占据了一席之地,而中国的百姓也一直使用着这种“舶来品”。直到乾隆年间,官府才发现了这种“另立年号”的铜钱,乾隆皇帝震怒,下令彻查私铸者。幸而有识之士认出了这种铜钱乃是来自异邦,几位地方大员随后上书乾隆皇帝,皇帝下令让地方政府收购这些日本钱,同时规定在外贸之中商船禁止携带“倭钱”,事情才平息下去。