[12] 福伝 (旧字体: 福︀傳) は、 日本の私年号の1つです。幽霊元号と考えられています。
[23] 昭和時代において、大学教授などの肩書を持つ者の著作で、 福伝に言及するものがいくつか出現します。
[35] 本書は薩藩旧記雑録と入来院文書に「福伝元年」があると主張していますが、 これまでに確認されていません。入来院文書には永伝があり、 何らかの形で誤った可能性があります。
[36] 本書では、戦国時代の下剋上を論ずる中で、 朝廷の政令が地方に及ばなかった証拠として私年号群を提示しており、 その1つにあたります。
[39]
著者の辻善之助
( - )
は、
史料編纂所の幹部を務めています。
昭和16年には、これまで確認されている辞典類で初めて永伝を掲載した
大日本年表
を発行しています。
[40] 依拠できる先行資料の乏しい環境下で最新の情報を盛り込もうとして誤ったのでしょうか。
[42]
後に発行された改訂版では、当該箇所が「
[285] 昭和25年以降の用例群は、異なる著者でありながら、 天皇による公年号の制定と対比して私年号をいくつか例示し、 天皇権力の一種の限界を提示する、 という形が共通しており、 いずれも出典を明記せず断定的な事実として類似した表現を用いていることが観察できます。
[24] この用例群の現在知られている最古は、昭和25年の書籍に出現するものです。 >>22 これに続く用例は、いずれも酷似した表現を持っており、 本書を共通祖先とする可能性があります。
[15] 石井良助 ( - ) は日本法制史研究者で、 に東京帝国大学教授となっています。
[16] に天皇なる著書を刊行しています。 副題が「天皇統治の史的解明」となっています。 >>14
[17] にも天皇なる著書を刊行しています。 副題が「天皇の生成および不親政の伝統」となっています。 内容は酷似しているようですが、近代日本語表記法から現代日本語表記法に改められています。 それ以外にどれだけ差異があるのかは不明です。
[18] にも刊行されており、 >>17 の再版とみられます。
[11] 私年号に関する部分は、 >>14 と >>227 の比較により、表記を除けば同一であることが知られます。
[37] >>14 は、提示される私年号の一覧が >>36 とよく似ていますが、 出典がなく地域が記載される、 年号単位ではなく元号単位でまとめられるなど、 著しい違いがあります。 また、朝廷権力の限界を示すという文脈は大きく共通しているものの、 幾分のニュアンスの違いが感じられます。
[38] 従って、 >>36 と >>14 とは関係性が示唆されるものの、 >>14 において一旦まとめ直されたものといえます。 >>36 と >>14 との断絶は、 >>14 とそれ以後の諸文献の異なりよりずっと大きいといえます。
石井良助『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』p217
たとえば、甲斐、常陸、陸奥、相模、下総などで行なわれた福徳(元年が延徳二年に当たる)、薩摩地方で行なわれた福伝(元年が延徳二年に当たる)、甲斐、常陸、会津地方で行なわれた弥勒(元年が永正二年に当たる)、甲斐に行なわれた宝寿(元年が天文二年に当たる)のごときこれである。改元を奉じないで古い年号を用いた例もある。たとえば、文明三年を享徳二〇年と記したごときこれである(享徳と文明のあいだには、康正、長禄、寛正、文正、応仁がある)。
昭和25年上梓, 珈琲はキリマンジャロ, January 13, 2021
本書は、1907年生まれの著者が1950年に上梓し、1982年に山川出版から刊行されたものを原本としています。
177 ページ
... 私年号が行なわれていた。福徳(元年は延徳二年)、福伝(同上)、弥勒(元年は永正二年)、宝寿などこれであり、また改元があっても古い年号を依然として用いた場合もあった(享徳二十年=文明三年)。朝廷だけでなく幕府の政治的権威も喪失したことを物語る現象 ...
187 ページ
... 私年号を唱え、世直しや徳政への熱い願望をそこに託したとしても、それが私年号で ... 福伝」(延徳二年、薩摩)、「弥勒」(永正二年、甲斐・常陸・会津)、「宝寿」(天文 ... 私年号の基底に、弥勒仏出現を待望する世直し的意識構造が存するといえる ...
[5] 「福伝」が出現する諸文献は、内容から見てすべて同じ系統か。 >>21 が一番古そうである。
[29] >>34 と >>21 以下の諸文献が実在元号説の立場と考えられますが、 >>21 以下は出典を記載していません。 >>34 は出典を記載していますが、 「福伝」 の出現を確認できません。 用例の実在を提示出来ない限り、実在元号説は成立が困難です。
[30] >>34 と >>21 以下諸文献の著者はいずれも元号研究を専門とする者ではありません。 日本史に関する知識を有すると想定される者もありますが、 私年号を専門とする研究者の知らない新知識を提示できるかには疑問があります。 仮に独自の知識に基づくなら、 >>21 以下の諸文献のように新発見であることを記載せず、 あたかも歴史学の一般常識であるかのように記述するのは不自然です。 だとすると、何らかの誤りで発生したと疑わざるを得ません。
[6] 「福伝」「福傳」を使った史料は皆無で、元号を専門とする研究者による言及も皆無、 「延徳2年」「薩摩」という特徴からみて、 永伝の誤記 (福徳との混同) で発生した実在しない私年号 (幽霊元号) の可能性が高い。
[26] 福伝は、歴史的な史料にも、元号を主題とする文献にも出現しなかったためか、 令和時代に至るまで私年号研究の文脈で捕捉されることがありませんでした。
[31] 福伝は中世史の研究にとってはおそらくノイズでしかありませんが、 私年号研究の成果がどのように受容されるかを考えるために重要な史料群となることでしょう。
[8] 論旨に大きく影響しない例示の1つ2つに過ぎないとはいえ、 論者の事実認識と記述の正確性を疑うに足る大きな誤りであるし、 後続の文献の著者らは情報の裏とりもせず (かといって出典も明確にせず) 先行文献の怪しい記述をコピペして論じていることがバレてしまったわけで、 情けない話ですな。