永元

永元 (日本)

[8] 永元は、 日本の異年号の1つです。

用例

[135] 往生要集 版本の1つの系統に属する諸本の奥書に用例が見られます。

日時事例

[17] 往生要集 は、承元4年、 建保4年、建長5年など盛んに版行された >>16 とされています。

[18] 承元4年版は現存しませんが、室町時代の覆刻版が伝わります。 >>16

[38] 龍谷大学本は室町時代中期の版と考えられます。 >>37

[105] 龍谷大学には4部の承元復刻版が所蔵されており、 並べて見比べなければわからないほどよく似た2種類があります。 1部は室町時代中期を下るべきものではなく、 3部は足利時代末期か徳川時代初期と推定されます。 >>102

[39] 承元版が失われ室町時代中期版が開版されたと思われますが、 それも更に失われたのか、室町時代末頃に再度開版されています。 >>37

[136] 近世にも度々覆刻版が刊行されています。

[137] 近代になるとこの系統に属しながらも承元に校訂済みのものが刊行されています (>>86)。

諸説

[9] 永元は承元の誤りとする説が近代以降広く行われ、 他の解釈の余地も一部で言及されつつも、 本格的な対抗説は形成されないまま現在に至っているところです。

[139] 根拠を示さず、あるいは原文が永元であることすら示さずに承元と表記される事例が散見されるほどの通説となっています。


[140] 承と永は現在の通用字体でも概形は似ていますが、 前近代に広く行われた 𣴎󠄁や𣱵のような字形となれば、 手書きではより紛らわしく見えるものです。 前近代の文献資料一般にも承と永の混同はままあることです。

[141] 従って永元を承元の誤記と推定することには十分な理由があり、 >>112 の如くその機序を推測するものもあります。

[142] ただ、 >>102 も指摘するように干支年などこの推定を確定させられる根拠が残念ながら存在していません。

[144] また、承元が永元と誤記・誤写された同時代または後代的な史料は、 これまで他に知られていません。

[143] 更に、承元4年版が存在し、その室町時代の覆刻 (やそれを更に復刻したもの) が現存諸本とみることが通説となっていますが、承元4年版の存在にはどうやら 「永元四年」 奥書以外の独立した物証は存在していないようです。 承元四年版の版本はこれまで1例も報告されていません。

[145] よって、現行通説は現状最も穏当な解釈であり、有力説とみて差し支えないものの、 同時に、実証的な裏付けを欠いた仮説に過ぎないとも言わざるを得ないのであり、 今後も引き続き考究に努めるべき課題を残しています。

研究史

[82] の目録は、 >>3 を紹介して、 永元の年號はなく、 あるいは言う、承元4年(紀元1870年)の譌なろうと、 蓋し然らん、 と述べています。 >>81

[76] の書籍は、 >>3 を紹介して、 承元四年なるべし、 と説明しています。 >>74

[80] の書籍は、 >>3 を紹介して、 「永 ((承)) 元」 (明朝体) と注釈しています。 >>78

[73] の史料集は、 >>72 を掲載して、 「承元四年」 (明朝体) と説明しています。 >>70

[67] の書籍は、 >>3 を紹介して、 「永 ((承)) 元」 (明朝体) と注釈して、 明に永元とあるが承元の誤りだろうと説明しています。 >>66

[100] の書籍は、 >>3 を紹介して、 永元の年號はなく、 足利時代の覆刻のとき無智の工匠が誤刻したと見る外ない、 として承元4年版と呼んでいます。 >>98

[106] の書籍は、 >>3 を紹介して、次のように述べています。 >>102

[13] の目録は、 >>3 を掲載して、 「(承) 永元」 (明朝体) と注釈しています。 >>11

[32] の書籍は、 >>3 を紹介して、 「承(永)元」 (明朝体) と注釈しています。 >>29

[86] の校訂本は、 本文で 「𣱵󠄂元」 を採用し、 注釈で 「永元」 の永を⑦本、⑧本 (いずれも昭和時代) が承とすると注釈しています。 また、 承元復刻本がそう呼ばれ承元4年本の復刻と説かれるのは、 「承元四年」となるべきが「永元四年」と誤っていることから起こった説のようだとして、 当版の本文にも誤刻が多いことを指摘しています。 >>83

[19] の書籍は、 >>3 を紹介して、 承元を永元と誤っていると説明しています。 >>16

[88] の書籍は、 >>3 を紹介して、 永元は承元の彫違なるべく、 と説明しています。 >>87, >>64

[69] の書籍は、 >>3 を紹介して、 永元はおそらく彫工が覆刻の際に承元を誤ったものと見るべく、 と説明しています。 >>68

[28] の書籍は、 >>27 を掲載して、 「承元四年 (1210年) 刊」 (明朝体) と説明しています。 >>26

[22] の書籍は、 >>21 を掲載して、 「鎌倉初期の印刷物 (1210年)」 (ゴシック体) と説明しています。 >>20 1210年 = 承元4年。

[40] の書籍は、 >>3 を紹介して、 永元の年号に諸説あるものの、 いまは一応「承元」誤刻とする説に従っておく、 と述べています。 >>37

[124] 令和時代の Webサイト (初出不明) は、 >>3 を紹介して、 「「永元」という元号は日本にはなく、承元4年(1210)の誤りと考えられている。」 とし >>122、 「原刊記: 「承元四年四月八日」」 と説明しています >>120。

[129] 所蔵史料目録データベース(Hi-CAT) - 詳細, https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w01/detail/0S0/434/4560

【請求記号】

台紙付写真-434-4560

【書名】

往生要集 奥書 承元四年四月八日刻彫畢

【原蔵者】 東京帝大図書館


[138] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介した事例は知られていません。

関連

承元

永元 (和田家文書)


日時事例

[36] の史料集は、 >>34 を紹介して、 「永元 (〔久〕) 」 と注釈しています。 >>33

メモ