[5] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 私年号ではない私年号的諸資料の章で、 立項せず本文で、 長崎県史史料編一所収 佐須郡御判物帳 が貞治→貞徳, 正平→元年と誤っていることを指摘しています。 >>6
[588]
青森民友
昭和三十二年三月三十一日掲載
中山修験宗の文化物語 (36),
開米智鎧に,
「発掘資料の断片」
を根拠に
「
[589] この表記が「発掘資料」に由来するものか、 開米智鎧または青森民友が誤ったものか不明です。 藤原明は「二十」の後に「平」の誤りかと注釈しており >>586 p.148、 「正平元年」を意味すると解したようです。
[590] ここにいう「発掘資料」とは、 和田家文書の偽造で知られる和田喜八郎が発掘した 「役小角墳墓」 で出土した文献です。 役小角研究で知られた郷土史家の開米智鎧は、 当時真書と信用していたようです。 現在ではそれらも墳墓自体も捏造と考えられています。
[591]
「
[7] 板碑概説, 服部清五郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/390?keyword=%E6%AD%A3%E5%B9%B3 (要登録)
[3] 回想のなかの図書館 : 中之島から宿院へ, 田島清, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12273880/1/41?keyword=%E6%AD%A3%E5%B9%B3 (要登録)
[4] 南北朝時代の記憶を680余年語り継ぎ、五條家ゆかりの人々が今年も金烏(きんう)の御旗の元に集う|五條家御旗祭【福岡県八女市】 – ローカリティ!, https://thelocality.net/gojyoukemihatamatsuri/
良成親王の文書も一通あります。正平9年は南北朝合一し、この年で年号は終わっているのですが、良成親王が書いた文章には正平12年や13年の年号もあります。これは、南朝再興の意志をしっかりと持ちながら、手紙を書き続けていると考えられています。そして、南朝はこの八女の地方に残って、違う生き方をしながら、色々な方たちが家臣となって住みつき、この地域を発展させていきました。