[6] 祭事など季節のイベントを元々の日取りから1ヶ月遅れて実施するものを月遅れ、 中暦といいます。
[7] 日本では旧暦から新暦への改暦により月が約1ヶ月移動したため、 従来日付により実施時期が定められていた行事の季節がずれてしまいます。 その対策として、主として
... の3通りの方法が採られています。3つ目の方法が月遅れです。
[22] 伝統的行事を月遅れにするかどうかは地域差、行事ごとの判断の違いが大きいです。
[13] 七夕のような場合、 全国的には日付をそのままグレゴリオ暦に移したものが主流で、 地方では月遅れで行われることもあります。
[14] お盆のような場合、 全国的には月遅れが主流で、 地域によって他の日取りとなっていることもあります。
[15] 十五夜のような場合、 グレゴリオ暦でも月遅れでもなく旧暦のままのことがあります (そうしなければ月の形状が変わってしまいます)。
[23] 正月のような場合、 全国的には日付をそのままグレゴリオ暦に移したものが主流で、 地方ではそれに加えて旧暦でも行うこともあります。 月遅れはまず行われません。
中暦(ちゅうれき)とは、新暦を1ヶ月遅れにした暦のこと。
[1] 月遅れ - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E9%81%85%E3%82%8C
やがて明治新政府が樹立し全国的に"新暦"が使われるようになりましたが、仙台の七夕は「お盆と、稲刈りでの豊作」の両方を祈るという意味を持っていたので、新暦ではタイミングが合いません。
そこで仙台七夕は、新暦と旧暦の間の「中歴(月遅れ)」における8月7日を採用しました。そして昭和3年(1928年)からは毎年、8月6・7・8日の3日間で開催されるようになったのです。
お盆を7月のままにしたというのは諸説があります。「こち亀」こと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」では両さんが「江戸っ子は気が短いからお盆は早く済ませて、夏は海で遊ぶんだよ」と言っていますが、これはあとづけの理由でしょう。一説には東京というのは江戸時代から全国各地から人が集まってくる場所でした。そのため江戸のお盆は早く済ませて、8月のお盆は地方へ帰ってもらえるようにする、といった目的もあるようです。地方から東京へ来た人が、7月盆の風景を見るとどこか違和感があるのはそのせいでしょうか。
なんてことはさておき、一般的には3日を過ぎたら片付ける、ということ
が多いようですが、旧暦(4月3日)まで飾る地域もあるようです。
ということでその頃まで飾っても問題はありません。
[5] () http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1973/pdf/19730104.pdf
昭和35年7月1日の「広報いわき」には、お寺も8月お盆に改めるとしている。新旧両暦を使っている生活を改めるためである。8月盆だと農作業に影響なく、子供の教育や諸般の行事にも有効だからだという。もちろん、この規定に村民が素直に従ったかどうかは疑問である。明治維新後に新暦(太陽暦)が導入されたとはいえ、旧暦(太陰暦)は農作業に適した暦だった。維新後80年異常たった当時の岩木村民でさえ、新旧両暦を使って生活し続けていた実態を考慮する必要があろう。
江戸時代の頃のお盆は、旧暦の7月14日と15日に行われていました。これは、現在の8月14日と15日にあたります。明治時代に入り、改暦によって現在と同じ西暦が使われるようになったため、改暦前(旧暦)の日付通りに現在の7月14日と15日にお盆を行うか、改暦に倣って西暦の日付である現在の8月14日と15日にお盆を行うかの違いによって、今でも7月と8月の両方にお盆が存在しています。
では、地方はなぜ変わらななかったのか? ほぼ1カ月繰り上げという突然の制度変更でしたので、新政府の意向が浸透していない地域や、地方の新暦の7月は、まだ農業が忙しい時期と重なることから、旧暦のお盆の時期をずらすことなく、8月15日前後に行われており、それが今でも続いているそうです。
[21] >>20 この説では旧暦でなく月遅れで実施している説明になっていない、というか旧暦と月遅れの違いがわかっていない?