[8] 日時制度を定め、これを国内に遍く実施することは、 国家統治の基本であります。
[134] 標準時 (ないしそれに相当する時刻) が実施される過程は、 定義、生成、配布、同期の4つの段階に大きく分けることができます。
[135] まず、用いる時刻を定義する必要があります。
例えば、法令によって「太陽の南中を正午とする」と定めたり、
「UTC より9時間早い時刻を用いる」と定めたり、
「ある日からある日までは、通常よりも更に1時間早い時刻を用いる」と定めたりします。
[136] 次に、定義に則り時刻を生成する必要があります。
定義だけでは理論上の存在に過ぎない時刻を、
現に存在し観測可能なものとして示すもので、恒久的に継続しなければなりません。
「日時計を設置する」、
「街の中心に時計台を設置し、時計の針を定義に合う位置にセットする」
といったものでも構いませんし、「高精度な原子時計を動作させる」のでも構いません。
[138] さて、標準時はその適用対象の地域で遍く用いられるべきものですから、
これを地域全体に配布しなければなりません。
「日時計が正午を指したら、すぐに太鼓を鳴らす」
といった方法でも構いませんし、
「原子時計に直結されたNTPサーバーから、インターネットで提供する」
ということにしても構いません。
[139] 最後に、適用対象の地域の時計が、配布された時刻を受信し、
これに同期される状態となる必要があります。
「午砲が聞こえたら、時計の針が正午を指していることを確認する」、
「標準時を通報する電波を受信し、それに従い時刻を調整する」
といったような方法があります。
[142] こうした過程が支障なく実施されているかというと、必ずしもそうではありません。
[2] 内戦の続く国でこうした制度を安定して施行できない地域や、 工業化が進んでおらず古典的時間観念で生活を続ける人々がほとんどの地域のみならず、 比較的政情が安定し経済も発達してきている国であっても、 時刻の標準化はなかなか進まないようです。
[1] その一方で、スマートフォンや GPS のような情報機器の発達と普及により、 そうした国家的な標準時の実施が進んでいなかった地域でも、 外国と民間の技術と設備によりなし崩し的に UTC と同期された時刻が供給されるようになってきています。
[3] かつては欧米人が植民地で天文台を建設して測時したり、 標準時の法制化を進めたりすることで、 標準時制度が世界へと広まってゆきました。 約100年の時を経た現在でも、それが形を変えて続いているともいえるかもしれません。
[5] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治6年 () http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787953/83
[6] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 () http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/234
[7] 国立国会図書館デジタルコレクション - 太政官日誌. 明治5年 第85−108号 () http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787663/60