[10] 日招きは、日没時に太陽を呼び戻し、 昼を延長したとする伝承です。
[11] 日招き伝承の大元は紀元前2世紀に前漢で著された淮南子に収録された魯陽の戈の話だとされています。 それによると、 戦国時代、 楚と韓との戦闘において、 日没時に楚の魯陽が戈で太陽を招き、 再び昇らせたといいます。このことから魯陽の戈は勢いの盛んなことや、 衰えた勢いの盛り返すことを指すようになりました。
[12] 日本各地に朝日長者や日招き長者と呼ばれる者が日没時に扇で太陽を招いたとする伝承が残っています >>9。
[13] 魯陽同様に戦闘で勝利したなどハッピーエンドなものもありますが、 多くは長者が没落したり、死亡したりするバッドエンドとなるようです。 宇宙の摂理に反して太陽の動きを変え、時間を操作するという行為には、 大きな代償が待っているようです。
[27] kikuchijokenkyuu2.pdf, , https://kofunkan.pref.kumamoto.jp/kikuchijo/download/pdf/kikuchijokenkyuu2.pdf#page=3
[14] 音戸の瀬戸には、 永万元年 (1165年) に平清盛が開削したとする伝説があります。 それによると、工事が日没に間に合わなかったため、 平清盛が金扇を広げ「かえせ、もどせ」と叫んだところ、 太陽は再び昇り、工事は完了したといいます >>1。
[15] もっとも、実際には音戸の瀬戸が人工開削されたということ自体が疑問視されているようです。
[16] 栄華を極めた平清盛も大病で没しましたが、 伝説によるとこれも日招きの報いだといいます。
[21] この伝承は、現在でも現地ではよく知られているようです。 伝承を記念する公園や像も作られているようです。
[17] 平清盛の日招き伝説は、サマータイム (夏時刻) 騒動で思い起こされることがあるようです。
[18] 時の権力者が太陽や時刻まで意のままに操ろうとすることや「昼間」の時間の拡大、 それによってもたらされる労働強化が、 サマータイムと重なってみえるのでしょう。
[41]
臺灣が西部標準時を廃止し中央標準時を採用
(通年夏時刻化) することを検討していた際、
天文学者の新城新藏は、
自然に逆らうことであり、
日輪を呼び戻すの愚に等しい無謀さだと非難しました。
[3] 昭和のサンマータイムをめぐる国会の審議の際には、
日本共産党議員が与党議員は平清盛以上だと皮肉ったようです。
[19] このやり取りは新聞に特別な注釈なく掲載されていたようです。 当時の議員や新聞読者にとって、平清盛の日招き伝説は常識だったのでしょうか。
[23]
ところでその数年前の昭和22年、
GHQ は国会に圧力をかけ、
何者かが国会の時計を操作して強引に法律を成立させた事件もありました
(
[20] 平成最後のサマータイム騒動でも、 平清盛の日招きを連想する人はいたようです。
[22] 折しも平成30年は平清盛の生誕900年で、 色々と記念行事も行われているようです。 平清盛も、 まさか900年後の悪政と対比されるとは思っていなかったことでしょう。
[28] Sandringham time、 国会時間も参照。
[25] 平安時代の日食を表しているという説もあるようです。 平清盛の生まれる前や、 死後の源平合戦の最中に日本で観測できる日食があったようです。
[29] 記録に残る最古の日食?: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201711/article_9.html
ヨシュア記10-13の日本語訳は、
民がその敵を打ち破るまで、
日はとどまり、
月は動かなかった。
つまり、敵を打ち破るまで日が照っていることが大事で、平清盛の音戸の瀬戸の 工事の伝説と同種のもののようです。日食で暗くなったら困ってしまいます。