応曆

應暦 (日本)

[45] 応曆は、日本の異年号です。

永暦

[22] 永暦の誤植らしきもの:

暦応

[46] 暦応が応暦と表記された事例が多数知られています。

用例

日時事例

[31] >>26 と >>29 は内容が酷似しており、同一の可能性がありますが、 >>29 の全文を >>28 は示していないので断定できません。

[33] 当記述の直後に嘉慶元年とあり、応暦は暦応の誤りの可能性が高いと考えられます。

[32] の書籍は、 >>30 について 「応暦元 ((マヽ)) 年」 (明朝体) と注釈しています。 >>28


[180] 暦応の誤りらしきもの、誤植か原本誤記か要検討:

[169] 暦応の誤植のように見えるが検討を要するもの:

[157] 暦応の誤植らしきもの:


[44] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介した事例は知られていません。

諸説

[47] 用例は多数ありますが、同時代的なものは確認されていません。

[48] 後世的な用例は明治時代初期に遡ることは確実ですが、 >>29 などはそれ以前の可能性もあり、調査を要します。

[50] この元号名に言及したものもありますが、本格的な検討は見当たりません。

[49] 用例のほとんどは出版工程などで意図せず順序が入れ替わったものとみられます。

康暦

[51] 康暦が應曆と表記されたとする説がある事例があります。

用例

日時事例

[59] 縁起が正法寺に現在も所蔵されているのかどうか、情報がなく不明です。 また、全文も掲載文献が見当たらず、不明です。

[42] に日本会津藩が編纂した地誌 会津旧事雑考 は、 正法寺の建立を康曆元年己未条に掛けています。 >>41 出典は明記されていません。

[39] に日本会津藩が編纂した地誌 新編会津風土記 は、 >>36 を引いて、正法寺を應曆二年の開基としています。その按語にて、 應曆の年號はなく、文字に誤りがあるはずで、 会津旧事雑考は康曆元年のこととする、 と注釈しています。 >>35


[43] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介した事例は知られていません。

諸説

[52] 1例のみ知られていますが、寺社縁起であり、後世的に記載されたものです。 同時代的な用例は知られていません。

[53] 明確に応暦の解釈説として提示されたものではありませんが、 同様の記事を康曆元年己未に掛けたものがあります。 出典が明記されておらず、当該縁起を根拠に推定したものか、 独立した出典が存在したのかは不明です。

[54] 当該比定によれば、干支年の一致を優先され、「二年」を「元年」 に1年ずれを訂正した形になります。 元号名の康暦は應曆と字形が類似しており、 取り違えられる可能性はありそうです。

[55] 日本の公年号とすれば

... の2つが「二年己未」です。どちらも字形や音が応暦とは似ていません。

[58] また、曆應の場合、 と己は一致しますが、 未は一致しません。

應徳

[3] 應德の誤植らしきもの:

応仁

[20] 応仁の誤刻らしきもの:

宝暦

[16] 宝暦の誤植らしきもの:

メモ