[11] 徳壽 (新字体: 徳寿, 旧字体: 德壽) は、 近代日本で日本中世の私年号と考えられたものの1つです。 現在では人名と考えられています。
[2]
磬で針書銘が
「
[16] 德寿は元号のように見えなくもありませんが、 年数がないのが不審です。 これは極めて異例です。
[4] の東洋美術学校の目録は、 様式は鎌倉時代のものだとしました。 私年号として德壽は知られておらず、 あるいは後二条天皇德治だろうか、と書いていました。 >>1
[8]
昭和時代初期の磬の研究者広瀬都巽は、
德壽は私年号で纔に行われたもので年次を識すまでもなかったのだとしました。
他例なく時期がわからないものの、
様式および私年号流行時期から室町時代中期頃だとしました。
>>3
[10]
昭和時代の私年号の研究者久保常晴は、
年数も干支年も書かずに元号名だけを書く例は他にないことを踏まえ、
同時期の磬銘の構成要素を分析し、
他の用例が知られない限り、
徳寿は私年号ではなく人名と判断するのが妥当だとしました。
>>9, pp.
[14] その後現在まで他の説は提示されていないようです。
[13] 私年号の一覧表の類でこれを掲載したものは見当たりません。
[12] 銘文をよく見ると「壽」がやや右にそれて、月日とは連続しないようにも見えます。 (ただこの種の銘文の文字は元々原稿用紙のように綺麗に並ぶものでもありませんが。)
[15] 德寿は元号ではないとするのが現時点での結論としてよさそうです。