[16] >>5 など一連の構造物は、狭山池の大正・昭和の改修で出土しました。 以後狭山池北堤に配置されていましたが、 平成の改修以後狭山池博物館に収蔵されています。 >>10, >>12, >>13
[35] 大正時代末に発見されて以来、言及はあまり多くないようです。
[36] 発見当時に弘化の誤りと推定され、現在に引き継がれて通説化しています。 異論らしきものは見当たりません。
[37] 根拠は元号名の1字一致、元号年と十二支の一致と銘文の書風および内容です。
[38]
3年にもなって化を政と誤ったとする推測は、
自明とは言い難く説明を要するでしょう。字形も音も違います。
[39]
弘化からみて40年前に寛政、15年前(2つ前)に文政があります。
6年後(2つ後)には安政になります。
当時の人にとって政は元号名の2字目に来そうとの感覚があったかもしれません。
[40] が、それだけで銘文を誤って刻むかどうか、少々根拠として弱く感じないでもありません。
[17] 大正15年、 末永雅雄は狭山池の大正・昭和の改修に研究者として立ち会っており、 >>5 の解体除去工事で銘文を発見しました。 その報告で次のように述べています。 >>9
[31] 時点の狭山池博物館の展示は、 次のように述べています。 >>4