[2] 1例のみ知られています。
[18] 康徳は他国でも元号として使われており、日本の事例を探すのが困難ですが、 現時点で用例・言及が1件のみ知られています。
[19] この探しにくさのためなのか、用例を紹介した自治体史で注釈を付けている以外に、 本格的な議論は見当たりません。
[20] 当用例の史料は全国の寺社でよくみられるような寺社縁起の類であり、 その記述の史実性については慎重に検討する必要があります。
[24]
文章の成立時期は明記されておらず、
よくわかりません。干支年の位置からみて、近世以後でしょう。
[21] 既に自治体史が注釈付きで紹介しているように、その紀年にはいくつか問題があります。
[22] ただし、継体天皇癸卯年についての注釈説 (>>13) は不自然で、 継体天皇からの代数というのも他にどれだけ事例があるのか謎です。 たまたまちょうどそれっぽい代数になるだけで、 やはり文武天皇でなく継体天皇の天皇即位紀年であって、 単純に時系列が錯綜している、と解釈する方がよさそうに思われます。 この種の記録で古代の時系列に乱れがあるのは珍しいことでもありません。
[23] 件の康徳については、文章からわかるのは弘仁より後というくらいです。
[26] 用例は1件のみ、しかも同時代用例は知られておらず、 一応何らかの誤りか何かで生じたものと考えておくのが穏当と思われるところです。
[25] しかし日本の公年号で「○徳」や「康○」で2年丙辰のものは見当たりません。 「康徳」と音や字形が似そうなものも思い当たりません。
[12] の地域史は、 >>3 を紹介して、いくつか注釈を付けています。 >>1
[13] >>11 について、その後行基菩薩が出てくるので、行基の生年がであることから、 継体天皇より17代文武天皇癸卯年 = の誤解、 としています。 >>1
[15]
>>10 に
「