[2] に米国ワシントンD.C.で行われた本初子午線並計時法万国公会 (国際子午線会議) は、
本初子午線・グリニッジ標準時を制定した国際会議でした。
[12] 決議と参加者一覧は >>11 にあります。
[24]
本初子午線をグリニッジ子午線に定め世界標準時とし、
世界を時間帯に分割した歴史的な会議、
とよく説明されていますが、
誤りです。
[25]
本初子午線をグリニッジ子午線とすることが決議されましたが (>>7)、
(既にそうしていなかった) 参加国で会議後実施した国は、
ほとんどありませんでした。
[26]
世界の時間帯を制定したとするのは完全に誤りで (>>3)、
(既にそうしていなかった) 参加国で会議後実施した国は、
ほとんどありませんでした。
[27]
本会議は国際条約を締結する権限を有する代表が参加した会議ではありませんでした。
本会議の決議は法的拘束力を持ちませんでした。
参加国は本会議の決議に基づき行動することが期待されましたが、
本会議に基づく国内手続きを進めた参加国はほとんどありませんでした。
[28]
にも関わらず、近代的標準時制度確立の黎明期の国際的な合意として前にも後にも類例が少ない稀有なものだったためか、
標準時制定の記念碑的な出来事として、
過大に評価されているようです。
[11] International Meridian Conference - Wikipedia, the free encyclopedia
()
https://en.wikipedia.org/wiki/International_Meridian_Conference
[15] The Project Gutenberg eBook of International Conference Held at Washington for the Purpose of Fixing a Prime Meridian and a Universal Day.
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http://www.gutenberg.org/files/17759/17759-h/17759-h.htm
[17] ()
https://www.ucolick.org/~sla/leapsecs/imc1884.pdf
[31] メートル法と標準時(落書き帳 記事集), https://uub.jp/frm/search.cgi?KJN=1&KJNS=3290+15066+45385+67006+73957+73958&ORDR=NON&TITLE=%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E6%B3%95%E3%81%A8%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82&KIX=1
1884年にワシントンで開かれた25ヶ国による国際子午線会議(日本も出席)で、グリニッジを本初子午線とすることなど7項目が決議されました。
この決議は条約と違って強制力がないので、角度や時間を60進法から10進法にする希望のように実現していない項目もあります。
しかし、眼目となる経度の国際的統一と、普通日(universal day)の例外的な形で認められた局所時の一つを「本邦一般の標準時」とすることについては、明治19年勅令51号が制定されました。