[532] 福知山市史 史料編 1, 福知山市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9574210/1/35 (要登録)
かうあん (康安)
[9] 大日本史料 第6編之24, 東京大学史料編纂所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450570/1/523?keyword=%E3%81%8B%E3%81%86%E3%81%82%E3%82%93
[5] 愛媛県史 資料編 古代・中世 本編, 愛媛県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9575275/1/337?keyword=%E3%81%8B%E3%81%86%E3%81%82%E3%82%93 (要登録)
[4] 年号読方考証稿, 山田孝雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12205359/1/69?keyword=%E3%81%8B%E3%81%86%E3%81%82%E3%82%93 (要登録)
[72] 延長年号の用例は意外と多いです。全国各地、いろいろな時代の文献に散らばっています。
[73] いくつか限定的に検討された事例はあるものの、あまり研究対象になっていないようです。
[54] 多可郡誌, 兵庫県多可郡教育会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/978710/1/139?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4
法華経八巻 康安四年 藤原清包 寄付
[55] 大日本史料 第6編之29, 東京大学史料編纂所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450575/1/199?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4
系図 康安四年八月廿九日
[53] 牡丹と藤 : 摂家門跡家よりみた興福寺史 第1巻, 松園裕, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13324052/1/126?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4 (要登録)
康安四年四月九日
[50] 「太平記」群雄の興亡と謎 : 南北朝動乱を演出した巨将たちの覇権と興亡, 岩松清四郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13238418/1/96?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4 (要登録)
康安元年 (一三六一) 康安四年 (一三六二)
[47] 相生ふるさと散歩, 相生市教育委員会生涯学習課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13217283/1/30?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4 (要登録)
康安四年 (一三六一)
[48] じゃがいも人生 続, 和田孝太, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13285346/1/49?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4 (要登録)
康安四年 (1361)
[49] 相生ふるさと散歩, 相生市教育委員会生涯学習課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13217283/1/30?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4 (要登録)
康安四年 (一三六一)
[51] 中世楽書と説話伝承に関する研究, 高原香苗, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3155069/1/47?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4 (要登録)
康安四年 (一三六五)
[52] 正説日本史, 原書房, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12208914/1/46?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4 (要登録)
正平十六年 (康安四年)
[31] >>30 康安五年。付近に正慶2年や至徳3年がある
[34] 香取古文書目録, 色川三中, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/815196/1/15?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E4%BA%94%E5%B9%B4
円城寺氏政 康安五年十一月日
[35] 上毛及上毛人 (255), 上毛郷土史研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3567445/1/16?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E4%BA%94%E5%B9%B4 (要登録)
康安五年板碑
[36] 九州荘園史料叢書 第15, 竹内理三, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3009715/1/8?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E4%BA%94%E5%B9%B4 (要登録)
康安五年壬子十二月十一日 今川貞世
[37] 寒河江市史編纂叢書 第33集 (大江系図附関係諸家系図 3), 寒河江市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9539756/1/103?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E4%BA%94%E5%B9%B4 (要登録)
系図 康安五年九月十三日卒
[38] 時衆過去帳, 大橋俊雄 編著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2965454/1/37?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E4%BA%94%E5%B9%B4 (要登録)
康安五年極月十二日
[39] 備前の嵐, 沢井近明, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12553589/1/33?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E4%BA%94%E5%B9%B4 (要登録)
康安五年三月三日卒
[41] 越中地志, 青木北海, 富山郷土研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1208785/1/109?keyword=%E5%BA%B7%E5%AE%89%E4%BA%94%E5%B9%B4
康安五年
3/2/11
3/2/12
翌貞治2年(正平18、1363)2月12日に通盛は家督を息子の河野通朝に譲って隠居するが、その譲状の年号はわざわざ「かうあん(康安)三年」となっており、これは清氏が管領職にあったときの年号であることから心情的に清氏を応援していたことを示唆している。しかしこうした姿勢がかえって頼之に伊予侵攻の口実を与えてしまった。
[61] 銘文の判読に、3年説と5年説があります。3年説だと素直な解釈が不能になる問題があり、 5年説だと一応妥当な解釈が得られるものの延長年号となります。
[62]
もし精密な検査によって五と読めると判定されたのなら何ら問題ありませんが、
かつて三と読んで疑いを持たれなかったものが突然実は五でした、
というのは簡単には受け入れられないでしょう。
[63] Web 上に資料が見つかっていない昭和時代後期から平成時代の頃の経緯の検証が望まれます。
[68] かうあん / こうあんと読める日本の公年号は、弘安と康安の2つがあります。 ただし、康安は2年で改元されています。
[69] 媒体たる建築物の様式による判断は、論者によりいくらかのぶれはありますが、 おおむね南北朝時代近辺と判断されているようで、 弘安では古すぎると見られているようです。 これについては、最新の研究に基づき、銘文を考慮に入れずに、 改めて整理されることが望ましいと考えられます。
[64] 5年説によると、 と解釈されます。 康安2年に改元されており、 +3年の延長年号となります。
[65] 京都からも近いこの地域で3年(以上)も改元が遅れるとなると、 何らかの事情の説明が必要ですが、これを論じたものは見当たりません。
[66] 不思議なことに全国各地に康安4年、康安5年の延長年号の用例が残ります。 それらには同時代に遡り得るものもあれば、そうでないものもあるでしょうし、 誤記なども混じっていると考えられますが、それらと関係はあるのかどうか、 など考えるべきことは色々あります。
[67] 3年説では、康安, 弘安のどちらも3年は乙巳年でないことが問題となります。 元号名、元号年または干支年の誤記とするにも、 あまりよい後補が見当たりません。
[70] 嘉元3年乙巳とみる説があります。「か・ぐわん」と考えると、 誤記や方言音など何らかの変化で「かうあん」と表記される可能性も皆無とまでは言えないように思われます。 が、少々無理をしていえる感も否めません。
... と述べています。 >>9
[15] 、 史迹美術同攷会の例会は御上神社を参観しました。 その報告は、
... と述べています。 >>5
[25] とするもの :
[29] 康安3年とするもの :
[58] 令和時代のいくつかの Webサイト (公式サイト含む。) は「かうあん5年」と読んでと解釈しています。 >>19, >>21, >>23
[59] 文化財調査系の共通の情報源があると推測されますが、詳細は不明です。
建立年代は諸説あるが、この門の上層間斗束裏面に「かうあん5年きのとみのとし」の墨書があり、乙巳は康安5年(1365年)に当たり、各部の形式も当時のものとみられることから、室町時代の建立と考えられる。楼門としては最も普遍的な、三間一戸楼門で、全体は和様であるが、上層の頭貫に木鼻をつけたのは禅宗様細部の混用されている。組物は上下層共三手先だが、楼門の上層三手先組物に尾垂木が無いのは珍しい形式である。
この門は上層間斗束裏面に「かうあん五年きのみのとし」の墨書があり、乙巳は康安5年(1365)に当たり、各部の形式も当時のものとみられている。
楼門は二階建ての門ですが、腰組で廻縁を支え屋根は一重です。上層間斗束裏面に「かうあん五年きのとみのとし」の墨書があり、乙巳(きのとみ)は康安5年(1365)に当たり、各部の形式も当時のものとみられています。
正応2年正月18日 東大寺文書 : 康安五年