[2099] 琵琶(銘「白鳳」) H-46-92 は、白鳳時代のものと伝えられる琵琶です。 伝承によれば、 嵯峨天皇 (在位-) が日本播磨國加古郡鶴林寺に寄進しました >>2098。 江戸時代、 紀州藩第10代藩主徳川治宝が主として収集したといわれる紀州徳川家伝来楽器コレクションに属し、 現在は国立歴史民俗博物館に所蔵されています >>2101。
[2103] に修理され、 撥面に桐鳳凰図 (白鳳) が描かれました。 >>2098, >>2104
[2105] 槽中に墨書銘があるとされ、 その写しとされる文書が附属します。 文字はかなり崩されていて、 複数の釈読があってはっきりしないようです。 >>2104 論文 >>2104 中にも写真がありますが、 写真サイズが小さく判読困難です。 この写しが実物をどの程度反映したものかも不明です。 に実物内部が調査されましたが、 この部分は確認できませんでした >>2104。
[2107] そのいずれの解釈によっても、 「白鳳六丁」 (縦書き) の4文字は共通しています >>2104。 >>2104 の小さな写真でも確認できます。 最後の「丁」は中央軸よりやや右に寄っているようにも見えます。
[2108] 天武天皇元年壬申を元年とする天武白鳳によれば、 は丁丑年で、 この4文字と矛盾しません。 現在この琵琶が一応のものとされる >>2104 のは、この解釈に依ると思われます。
[2106] 元々の銘文が 「白鳳六丁丑」 (縦書き) のように書かれていたのだとすると、 この年号の書き方はとても白鳳時代のものとは思えません。
[1813] 伴信友は、 播磨國加古郡鶴林寺に伝わる琵琶の腹板の裏の銘文の写しを見たといいます。 古くて字形が明瞭ではないものの、 「白鳳」 の下に 「丁六」 のような文字が見えたとし、 「丁丑」 とすると白鳳5年、 「十六」 との説もあるが白鳳16年はない、 としていました。 >>1731
[2109] 現在伝わるものによれば「丁六」でなく「六丁」なのは明らかです。 伴信友が見たものは現存する写しを更に写したものか何か、 誤ったものだったのでしょうか。 異説も示しているということは、 当時の他の学者も同じく誤ったものを見て検討したのでしょう。
[2111] 鶴林寺の創建は古く、 聖徳太子にも縁があるとされます。 あいたた観音は白鳳時代のものとされます。 この琵琶が白鳳時代のものとされるようになったのも、 こうした環境と関係しているのでしょう。