[30] 佐佐木状 は、 佐々木四郎高綱発給文書の形式で記載された往来物です。
[29] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介した事例は見当たりません。
[32] 良王, 良応の用例として現在知られているものは、 明らかに貞応の誤りと思われるもの数点を除くと、 佐々木状 の系統のもののみとなります。
[33] 佐々木状の諸本は「良王元年」とするものが多いようですが、「良応一年」 とするものもあるといわれます。ただ、その「良應一年」との解説がある同じ書籍が本編では 「良王元年」と表記していて、どこから「良應一年」が出てきたのかは謎です。
[34] 同書は往来物であり、史実的な意味で実在が確認されている文献ではありません。 その内容も登場人物と出来事の関係に史実と齟齬があります。 元来の著者の意図や受容した人々の受け止めはわかりませんが、 少なくても現在伝わる態様は、史実性よりも娯楽性が重視された媒体であることが明らかです。
[31] そこで使われる「良王」ないし「良応」なる元号がいかなる性格のものなのかは明らかではありません。
[35] これらに明示的に言及したものは多くないようですが、知られている限りではいずれも架空の元号と断定しています。
[36] ただ、一応登場人物は実在の人物ですし、記述される事件も史実を模型にしたものに見えます。 元号だけがまったくの架空というのも不審に思われます。 何らかの実在の公年号が伝写を経て変質した可能性も否定できないところです。
[37] しかしながら、登場人物の活動時期である鎌倉時代初期頃の公年号で、 字形や音が「良王」ないし「良応」と似たものは見当たりません。
[40] 良応は貞応の誤りとして出現することがあり、時代も鎌倉時代でありそこまで場違いというほどではないのですが、 少々時代の隔たりがあって、それ以外の佐々木状の史実との不整合を勘案してもなお、 貞応を原形とするには不自然すぎます。
[38] 一方、この場限りの架空の元号だとして、 それがここで用いられるのはどういう意味があるのか、 「良王」ないし「良応」とはどういう意味の元号名なのか、 といった事項はこれまで議論されていないようです。
[39] 佐々木状は架空の元号がなければ成立しないような物語でもありませんし、 ここで「良い王」などの意味を込める必然性も自明でなく、何らかの説明が必要と思われます。
[6]
の書籍は、
>>41
を紹介して、
[5] >>4 の「良應一年」は >>41 の「良王元年」と一致していませんが、 誤植にしては不審で、謎です。
[26] 出版 往来物解題辞典 の母利司朗執筆記事は、 >>14 について、 良王元年を架空の時代と断定しています。 >>13
◆ささきじょうえしょう [1310]
〈頭書新刻〉佐々木状絵抄 【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈新板〉佐々木絵抄』『佐々木状』『高綱状』。大本一冊。連判五三人を添え、佐々木四郎高綱が、源頼朝に梶原景時の弾劫を願った古状形式の往来で、竹生島で那須与市宗高を殺害しようとした謀略の発覚を恐れた八谷定国が、舅の梶原景時を頼み、頼朝に讒言を図ったことに対する書状形式をとる。事件の年代を「良王元年」頃と架空の時代に設定するのが特徴。上部四分一ほどに掲げた一四葉の挿絵は書状の内容を絵解き風に表現したものである。本文を大字・五行・付訓で記す。〔母利〕
[9] 。
[28] 私年号研究の文脈でこれらを紹介した事例は見当たりません。
[27] なお国立国会図書館デジタルコレクションで「良応」で検索すると、 貞応のOCR誤認識が大量に見つかります。