[7] 永彭は、 昭和時代に日本中世の私年号の可能性が指摘されたものの1つです。 現在では人名と考えられています。
[5] 昭和時代初期の東大寺の銘文集では、 これについて私年号かと思われる、 何年とあれば私年号なのだが人名かもしれない、 私年号流行時期ゆえ私年号でないともいえない、 と述べていました。 >>1
[6]
昭和時代中期の日本私年号の研究では、
同じ様式のものと干支年から慶長13年の可能性が高いと推測しつつ、
銘文の様式から年ではなく法号であろうとし、
類例ない限り私年号とすべきでないと判断しました。
>>2 pp.
[8]
永彭と干支年の間には少し広い空間が有り、
右行と対になっているとされます。
>>2 pp.
[9] 元号名と干支年のみで年数がないとき、 干支年が割書にするのはあまりない書き方です。 ただ元号名も年数もなく干支年のみ書かれていて割書にするのも珍しいです。
[10] 上が少し開いているとしても、元号名と元号年が入るほどのスペースはなさそうな書きぶりです。 ちょうど右行が空いていそうですが、 元号名・年数と干支年との間で区切るのも (皆無ではないにせよ) 不自然です。
[11] 永彭が元号名とは言い難いにせよ、 そうでないと解釈したときにすっきりしないこともまた事実です。
[12] その後他の解釈は提示されていないようです。 私年号の一覧表の類にも掲載されたことはありません。 私年号とは考えないのが通説化しているといえます。