永宝

永宝 (古代年号)

[13] 永宝は、 日本の異年号の1つです。

用例

[15] 現在までに二例が知られています。

山形県下の用例

日時事例

[5] 飯豊山が知恵南海による永宝元年の創立、と解せます。

[6] 知恵南海については不明です。

[21] 大塚村史, 那須信一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9536680/1/164?keyword=%E6%B0%B8%E5%AE%9D (要登録)

21 屋敷鎮守

  松森水神    天正十年創立        菅原喜右工門
  稲荷神社    天正元年創立        皆川平右工門
    同            同              青木七右工門
    同            同              寒河江孫兵工
    同            同              金 子  与 吉
    其の他    青木文書による
  飯豊山  永宝元年        創立者    知 恵  南 海
  湯殿山  大同二年          同      弘 法  太 師
  大光院  大同二年                  柿 本  人 丸
  滝蔵権現  大同二年  下小松
  地蔵尊  大同二年高山村堰上        井 上 安五郎
  善内地蔵  明治十七年  安置施主人  五鵭田 吉 弥

[1] 下半分は「青木文書による」との記載の範囲と思われますが、不明瞭です。

[2] 青木文書とは本書の他の部分に頻出する青木源内文書と思われます。

福島県下の用例

日時事例

  • [7] 飯豊山 行者の参拝登山の祈りの言葉
    • [8]

      さーんげ さーんげ (懺悔々々)

      ろっこんしょうじょう (六根清浄)

      えーほうがんねん (永宝元年)

      かいざんえーせーそん (開山役世尊)

      >>14

[9] の書籍は、 >>7 を御沢小屋の主人談として、 明治元年の神仏分離まで使われていたものとして紹介しています。 >>14

[16] 御沢小屋は、 現在の登山口である日本国福島県喜多方市御沢野営場から少し入ったところにかつて存在していました。

[10] 同書は、この伝説によると永宝元年に役行者が開山したことになるが、 実際には猟師の歩いた跡が山道になり、そこを役行者が頂上まで登り、 参拝道路としたと説明しています。 >>14

諸説

[17] 二例が知られていますが、一例は飯豊山の福島県側の伝承であり、 一例は飯豊山の山形県側の山麓の平野部に所在する大塚村の飯豊山に関する伝承です。

[18] たまたま現在二例記録が残っていますが、かつては飯豊山周辺に広く分布した可能性もあります。 未知の史料が残存するとも考えられ、捜索が望まれます。


[19] 福島県側では役小角に関連付けられていますが、 全国の山岳信仰の地にこの種の伝承があります。ただし永宝の元号は他で確認されていません。

[20] 山形県側では大同2年という日付や弘法大師や柿本人麻呂という人名と並べられています。 これらも全国的に見られる伝承の要素であり、特に大同は奥羽地域の寺社の創建年として頻出します。

[22] 名前の挙がっている人物らが飛鳥時代に実際に奥羽で活動したと確認できる史実性の高い記録はありません。 後世の付会によって発達した伝承である可能性が極めて高いと判断できます。

[23] 永宝という時期も、実際の歴史的な出来事のあった年を表すというよりは、 そうした伝承が語られる中で結び付けられた元号と理解するのが順当と思われます。

[24] とはいえ、永宝が何らかの作為によって与えられたものなのか、 (史実ではないにせよ) 何らかの根拠があって語られたものなのか、 は材料がなく判断できません。


[25] 永宝は、役小角による開山の時期として語られています。 だとすると、役小角が活動した飛鳥時代頃を表す元号ということになります。

[26] 役小角は生まれ、 没とされます。 永宝はこの時期ということになります。 ただし、地方の伝承によっては必ずしもこの範囲に収まらず役小角の事績が語られます。

[27] あるいは大宝の転訛という可能性も考えていいかもしれません。


[29] 飯豊山の開山については、 とする伝承があります。 >>28

[30] これと永宝の伝承との関連は定かではありません。

[28] 飯豊山古道 – 日本山岳会が選ぶ「日本の山岳古道120選」, https://kodo.jac1.or.jp/kodo120_detail/25_iide2/

飯豊山地は、昔から「山容飯を豊かに盛るが如き」豊かな山容にみたててそう表現され、飯豊山の名の由来となっている。開山は、652年に中国から渡来した知道和尚と修験道の開祖役小角がこの山に登り、山容より飯豊山(伊比天山)と名付け、さらに飯豊山地を五神の王子に見立てて一王子から五王子を飯豊山地の祭神として祀ったのが起源とされている。飯豊山神社もこの時に開かれ、修験道の元祖と言われている役小角の伝説が弘法大師空海の伝説と同じように各地で広くあることを考えると、そうあるべきものとして永く伝承されてきたのだろう。

研究史

[11] 昭和40年台に >>7, >>3 が記録されましたが、永宝の元号は考察されていません。

[12] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介された事例は知られていません。

関連

大同

永宝, 宝永

メモ