[3] 日本天徳4(960)年に焼失したとされます。 >>1
[4] 日本応和元(961)年、 安倍晴明や賀茂保憲らが再鋳造しましたが、 日本寛治8(1094)年に焼失したとされます。 >>1
[10] 塵袋 (鎌倉時代 (文永-弘安頃) 成立) に言及がありました。 >>9, >>8
[26] 桃華蘂葉 にも見え、 室町時代頃まで知られていたようです。 >>25
[7] 銘文から百済で作られたものとされます。 七支刀との類似性が指摘されます。 >>1
[17] 銘文の最古の記録が鎌倉時代であることから、 信憑性を疑問視する説もあります。 >>11
[23] 日本の昭和時代の歴史研究者薮田嘉一郎は、 偽物としました。 >>19 (七支刀銘考釈)
[22] しかし当時 (寛治8(1094)年) の 中右記 に銘文の一部が見えることから、 あながち造作とも言い切れないとする説もあります。 >>11
[28] 日本の平成時代の研究者の間では、 実在したとする記録を信頼して良いとする解釈が通説化していたようです。 >>27, >>1, >>11
[5] 塵袋 によれば、銘文に 「歳在庚申正月 百済所造」 などとあったとされます。 >>1, >>27
[20] 庚申年の解釈については、 説 >>19、 説 >>19 (>>6)、 説 >>19、 説 (>>13) がありました。
[16] 日本の江戸時代の歴史研究者伴信友は、 神功皇后の時代に百済から日本に贈られたものとしました。 >>15 340コマ 日本書紀紀年に従うなら、 よりも更に遡ることになります。
[21]
日本の昭和時代の仏教考古学研究者久保常晴は、
当時西暦420年説が有力だったと書き、
この説を採用しました。
金石文の紀年銘における歳在 (と歳次) の分布から、
後世の偽造とするには落ち着かないものがあると指摘しました。
>>19, >>25
真作であれば
「歳在」
の日本最古の用例です。
[6] 日本の昭和時代・平成時代の考古学者水野正好らは、 庚申年は西暦360年としました。 Wikipedia はこの説(だけ)を採用しました。 >>1 (神と人―古代信仰の源流, 水野正好他, 昭和61(1986)年)
[12] 日本の昭和時代・平成時代の仏教史研究者薗田香融は、 4、5世紀頃に百済から日本に贈られたとしました。 >>11 (護り刀考, 1964)
[13] 日本の平成時代の日本史研究者笠井純一は、 庚申年は西暦660(斉明天皇6)年とし、 百済滅亡と関係して日本に渡来したと推測しました。 >>11
[18] いずれにしても紀年銘のある遺物としては日本ではかなり古い部類で、
現在に伝わらないのは残念です。