[4] 教王護国寺文書 巻2, 赤松俊秀, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2970118/1/251?keyword=%E5%B9%BF (要登録)
[2] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/360?keyword=%E5%B9%BF%E5%B9%BF+%E5%B9%BF%E5%BF%9C+%E5%BA%B7%E5%B9%BF (要登録)
かうおう元年十月五日
[49] 能の謡曲に出現するものであり、モデルとなったものはあったかもしれないとしても、 実在の文書かどうかは定かではありません。
[52] 一般に能で描かれる世界は、 おそらく創作当時の人々にとって、 現実世界そのものの再現と理解されているわけではないものの、 まったく架空の世界という認識のものではなく、 むしろ非常に現実感があるものと理解されていた、 と考えられます。
[53] 謡曲に現れる元号も、まったく架空の元号を創作しようとする意識はまずなかったと考えられ、 現実の何らかの日付であると受け止められていたのではないかと考えられるところです。 ただし、現代的な歴史考証のような作業を行っているわけでもないでしょうから、 それがどの程度史実の元号と時代感を反映しているのかは、検討が必要と考えられます。
[54] 当事例については、能の世界、あるいは芸能史の分野で検討対象になったこともありそうなものですが、 現在 Web で見つけられる言及は数件だけです。
[55] 昭和時代の研究では、仮名書年号表記の本に基づき、 康応に比定しています。その根拠は特に示されず当然のことのように扱われていますが、 康応年間の飢饉と内容が整合することが傍証となっています。 (>>17)
[56] 平成時代には異本によって元号名の表記が異なることと、 康応2年8月日という日付が延長年号となることが指摘され、 架空説が提起されています。 (>>12)
... の4種類があります。
[62] このうちどれが原形なのかは定かではありません。仮名表記 (あるいは口頭による相伝) が後に漢字が当てられたと考えるのが単純でわかりやすいですが、 その更に大元の本で漢字表記されていた可能性も否定できず、 容易には結論付けられなそうです。
[63] もともと康応だったものが、忘れられた後に適当な漢字が当てられた、 と説明できそうですが、他の何らかの元号名からの訛伝がたまたま康応と衝突した、 という可能性もありそうです。
[43] かうおうが康応であることは自明の前提として扱っているようです。
[12] の史料集は、 >>8 の諸本異同を示して、次のように述べています。 >>5