々年

々年

[48] 元号名の最後が「元」となるとき、 元年々年と書くことがあります。 東洋の日時表示

[9] 美濃国 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%BF%83%E5%9B%BD#%E3%80%8C%E7%BE%8E%E6%BF%83%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%90%8D%E7%A7%B0

藤原忠通書状案(天理図書館所蔵文書)には「御庄々、武義(美乃国)、山上(美乃国)、吉田(美乃国)、保元々年七月」と記載されている。

[4] 奈良県地域史料目録 - 584高天郷家地直銭渡注文 寛元々年7月3日, XOOPS Cube, , https://www2.library.pref.nara.jp/nlmc/modules/xoonips/detail.php?item_id=4364
タイトル584高天郷家地直銭渡注文 寛元々年7月3日
上位タイトル春日大社文書 Vol.第2巻, (1981. 3) ,p.245- 246
[5] 国指定文化財等データベース, https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2670

名称 : 宝篋印塔

年代 : 正元元

西暦 : 1259

構造及び形式等 : 石造宝篋印塔 正元々年十月日の刻銘がある

[7] 31.仁和寺所蔵史料(御経蔵)の調査・撮影 syoho45-saiho, https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/45/saiho_45_031.html

③+⑧:正元々年五月三日 法印大和尚位教禅 (護持大王)

②+⑦:正元々年七月廿三日 法印権大僧都教禅 (護持太王)

[6] 吾妻鏡入門第卅五巻二月, , http://adumakagami.web.fc2.com/aduma35a-02.htm

寛元々年(1243)二月小廿六日癸酉。

[8] 歴史資料展示物/令旨綸旨, , http://yaen02.vill.totsukawa.lg.jp/www/contents/1109233270859/index.html

○大塔若宮興良親王令旨写

延元々年十二月十四日』

[2] デジタル小説 - 太宰ミュージアム, , http://dazai.or.jp/modules/novel/index.php?op=viewarticle&artid=21&page=72

官位の陞叙もすみやかに、建仁三年九月七日叙従五位下、任征夷大将軍、同十月二十四日任右兵衛佐、元久元年正月七日叙従五位上、三月六日任右近少将、同二年正月五日正五下、同二十九日任右中将、兼加賀介、建永元年二月二十二日叙従四下、承元々年正月五日従四上、同二年十二月九日正四下、

[3] デジタル小説 - 太宰ミュージアム, , http://dazai.or.jp/modules/novel/index.php?op=viewarticle&artid=21

作品名 右大臣実朝 著者名 太宰治

底本:「太宰治全集第五巻」筑摩書房

1990(平成2)年2月27日初版第1刷発行

入力:八巻美惠 1999年1月5日公開 2007年8月17日修正

[1] 新潟県上越市 真宗大谷派 高田別院|別院紹介, , http://takadabetuin.himenokuni.com/shoukai.htm

承元々年(1207)、親鸞聖人越後後配流のご苦労を通しそのご縁をいただき、上越一円の門徒から建立が望まれ現 在の地に東本願寺直轄の高田掛所(別院の前身)として幕府寺社奉行から設立を認められたのが享保15年(1730)東本願寺第17代真如上人の時。

1207(承元元)年親鸞聖人「承元の法難」により越後に遠流

5、太郎の結婚を十七才 のときとすると乾元々年 (一三〇三)、結婚生活二〇