[79]
の史料集は、
>>77
を掲載して、
「
[75]
の目録は、
>>72
を紹介して
「
[49]
の史料集は、
>>45
を掲載して、
「
[31]
の史料集は、
>>29
を紹介して、
「
[56]
の書籍は、
>>54
を紹介して、
「
[104]
の史料集は、
>>100
を紹介して、
「
[16]
の史料集は、
>>13
を紹介して、
「
[26] の史料集は、 >>19 を掲載しています。ママ注はこの史料集が付与したものとみられます。 >>18
[35] >>34 >>52 は、
[66] の書籍は、 >>42 を紹介して、 次のように述べています。 >>1
[87] 仏教史学研究 40(2), 仏教史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4422695/1/54?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3 (要登録)
[88] >>87 音一房、正宝八年四月一五日。西暦年欄が空欄で、注釈に
「
[10] 天台宗大観, 木下寂善, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/943746/1/71?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3
[11] >>10
橘樹郡高津村大字久 龍臺寺
[38] >>37 香川県 池田村大字蒲生字上池 明王寺
「
[17] 新撰日本名勝俳句集成, 里見禾水, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1189840/1/324?keyword=%E6%AD%A3%E5%AE%9D (要登録)
雑喉場 (西区京町堀通五丁目・江戸堀五丁目の江の子島に対する川岸一帯にある生魚市場)
[32] 日本画大成 第20巻, 東方書院, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1242678/1/178?keyword=%E6%AD%A3%E5%AE%9D (要登録)
[33] >>32 松井幽古 守宗と称す、狩野探信の家老、探幽に師事、
[80] 人間吉田松陰, 上田庄三郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1058299/1/115?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3
正寶七年
[105] 大日本仏教全書 132, 仏書刊行会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/952836/1/90?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3
正寶八年
[86] 国家及国家学 7(9), 国家社, 明治大学出版部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1477272/1/44?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3 (要登録)
[89] 高知県高岡郡史, 高知県高岡郡役所 編纂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9769184/1/134?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3 (要登録)
[93] 駒沢大学大学院仏教学研究会年報 (23), 駒沢大学大学院仏教学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7951673/1/12?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3 (要登録)
能州洞谷山永光禅寺行事次序
[95] >>94
[97] 新掲示教育資料, 上沼久之亟 等著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1072905/1/40?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3 (要登録)
[98] 商略三百六十五日, 商店界編輯部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1230359/1/38?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3
[111] この他にも国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると少なくない数の用例が見つかります。
[112] なお、国立国会図書館デジタルコレクションの検索では、延宝の OCR 誤認も多数見つかります。
[117] 用例は少なからず知られています。近世文書に出現するものもあれば、 近代の誤植と思しきものもあります。
[118] 全体を見通した研究は見当たらず、個別の事例を検討したと思われるものも、 多くは校訂案を注釈として示したに過ぎないものです。
... のいずれかが正しいとされます。
[122] 個々の用例の文脈からみて、正保で妥当と考えられるものもあれば、 延宝で妥当と考えられるものもあり、 どちらも当てはまり得ると考えられるものもあります。
[123] 時代も地域も内容もまったく異なる、共通性に乏しい様々な媒体に出現する状況からみて、 正宝という語形で広く流布したものではなく、 単独の誤記が様々な時代の様々な場所で発生したと考えるべきでしょう。
[113] 大正時代には正宝の用例が含まれる史料を翻刻紹介した事例が見られますが、 特に注意は払われておらず、異年号との認識があったかは定かではありません。
[114] 昭和時代以後、ママ注を付加したり、校訂案を注釈したりする事例が出現するようになります。
[115] 昭和61年には、具体的に検討過程を示して比定案を示した事例があります (>>66)。
[116] しかしながら、いずれも単発の事例を検討したものであって、複数の用例にまたがって総合的に議論したものは見当たりません。 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介した事例は知られていません。
[63] 御祭草紙, 西村捨三, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/781852/1/69?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3
[84] 経済人 26(7)(298), 関西経済連合会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2666738/1/40?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3 (要登録)
[90] 新撰二体用文 : 国民応用, 三尾重定, 福島順則 校, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/866175/1/8?keyword=%E6%AD%A3%E5%AF%B3