[6] 現在の東北地方南部東岸に設置され、徐々に北へと拡大していきました。 江戸時代には北海道島の少なくても一部を含むまでに至っていました。
[7] 明治時代初期に分割され、ほぼ現在の青森県にあたる地域が新設の陸奥国となりました。
平安時代の陸奥国および出羽国は、北東北領域で境界不明瞭なことが多く、平安末期には、奥州藤原氏の勢力範囲の秋田県領域(仙北三郡など)も陸奥国と見なされていたようである
松前地(北海道の南部)が陸奥国の一部として扱われた時代もある。
[4] 文化財論文 松前藩から幕府へ提出された「陸奥国松前幷蝦夷地海岸絵図」 —松前家寄託資料(松前町教育委員会保管)「蝦夷地図 松前志摩守持用」について— - 全国文化財総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/125691 #page=24
一方、実際の絵図には「陸奥国松前幷蝦夷地海岸絵
図 松前志摩守」という墨書がある(図 2)。
[3] XユーザーのYusuke Hamaguchi 🦊さん: 「大河ドラマの影響で「蝦夷地の松前藩」て言葉がどっとTLに流れてきたけど、正確には松前藩は 「陸奥国の一部とみなされた松前に城地をもち、蝦夷地のアイヌとの交易権を持つ藩」 であり、蝦夷地の領地支配はしてないです。 当時の百科事典『和漢三才図会』も松前を陸奥国として取り上げてますね。 https://t.co/HyvhuQSqV3」 / X, , https://x.com/HAMAGUCHIx/status/1929161072491037056