here症候群

here症候群

[1] here症候群を批判する根拠となる二つの観点:

  1. 自然言語としての適当性: アンカーを含めた文章が自然言語として適切であること。 例えば日本語ここ近称であることと矛盾する文章は不適切と考えられます。
  2. 利用可能性: すべての利用者がすべての文章の隅から隅までを慎重に理解し、 行動に移すことは期待できません。何らかの動作を引き起こすアンカーボタン内容は、 その対象を端的かつ十分な情報量で表したものであるべきです。

(名無しさん [sage])

[2] しばしば根拠として挙げられる、アンカーだけを抜き出した時にも意味が通じなければならないという条件は、 適当ではありませんハイパーテキストにおけるアンカーは、 依然文章の一部を構成するものに過ぎません。少なくてもHTMLにおいては、 それが文脈を離れて単独で機能することまで求められてはいません。 実際、いくつかのWebブラウザであるHTML文書からアンカーを抽出する機能が実装されてはいますが、 この機能を用いて日常的にWeb閲覧するのが一般的とはとても思えません。 あくまでも補助的な機能と考えられます。

もちろんアンカーが文脈を離れても理解可能なら、 利用の幅も広がって便利なこともありましょう。 しかし、そのために本来の文脈において文章が不自然になったり、 不自然になった部分を修正する労力をかけたりするほどの価値がある利点とも思えません。

このような実益がなく労力だけを要する根拠がよく主張することが、アンチ反here症候群派 (= here症候群擁護派) に塩を送っていることを反here症候群派は反省するべきです。

(名無しさん [sage])

[3] しばしば根拠として挙げられる、アンカーだけを抜き出した時にも意味が通じなければならないという条件は、 適当ではありませんハイパーテキストにおけるアンカーは、 依然文章の一部を構成するものに過ぎません。少なくてもHTMLにおいては、 それが文脈を離れて単独で機能することまで求められてはいません。 実際、いくつかのWebブラウザであるHTML文書からアンカーを抽出する機能が実装されてはいますが、 この機能を用いて日常的にWeb閲覧するのが一般的とはとても思えません。 あくまでも補助的な機能と考えられます。

もちろんアンカーが文脈を離れても理解可能なら、 利用の幅も広がって便利なこともありましょう。 しかし、そのために本来の文脈において文章が不自然になったり、 不自然になった部分を修正する労力をかけたりするほどの価値がある利点とも思えません。

このような実益がなく労力だけを要する根拠がよく主張することが、アンチ反here症候群派 (= here症候群擁護派) に塩を送っていることを反here症候群派は反省するべきです。

(名無しさん [sage])

[4] リンクテキスト - Weblog <http://ryus.s21.xrea.com/w/item/805> (名無しさん 2006-11-19 02:29:43 +00:00)