[1] 昭和時代の研究者友田吉之助の調査によると: >>698
[3] 友田吉之助は、 古今帝王年代暦 や、そうでなくても同時期の唐の他の年代記類が日本に伝わり、 二年引き上げた干支紀年法が使われたと主張しました。
[4] そのような紀年法が (意識的に作られ) 存在し使われたとする説には疑問が呈され、 支持されていません。
[5] しかし中世日本の歴史書等に散見される2年ずれの混乱の発生要因の説明としては、 大変興味を惹かれる説であり、一考の価値があると思われます。 続日本紀や王年代記の混乱との関係も追求が必要でしょう。
[6] それ以外の観点でも、年代記類の成立と発生を考える上で、 佚書である釈霊実の年代記の影響を指摘した点は重要といえます。
[30] KJ00005086031.pdf, http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/19347/KJ00005086031.pdf#page=6
[31] https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/2850/files/kenkyuhokoku_233_03.pdf
[32] 33_03_01.pdf, , https://ajih.jp/backnumber/pdf/33_03_01.pdf#page=6