義興元年

義興 (元号)

[1] 義興 (义兴, y~518) は、 明の元号です。

[3] の首都陥落前最後の皇帝崇禎帝の時代の皇太子朱慈烺の皇帝即位に伴う新元号とされます。 >>2

[9] 朱慈烺は、首都を占拠した李自成に従属していました。 >>2

[4] 4月14日北京西長安街に 「於本月二十日立東宮為皇帝、改元義興元年」 と掲示されたとされます。 >>2

[10] 4月22日、 李自成呉三桂に破れました。 朱慈烺呉三桂の庇護下に入りました。 呉三桂朱慈烺を即位させようとしましたが、 反対があって実現しませんでした。 >>2

[12] 日本語ウィキペディアの人物記事は呉三桂朱慈烺を即位させようとし義興元号も用意したとしました。 >>11

[5] 中文维基百科の元号記事は未使用に終わったとしています >>2 が、人物記事の4月22日条は文書で利用されたとしています >>6

[13] 4月29日に李自成國の皇帝に即位しました。 5月2日に李自成北京を失陥しました。

[8] 6月 (6日以後) に死去しました >>6。 それまでの間、即位の実態があったのか、 どれだけ元号が使われたのか謎です。

[14] 北京の掲示は何者によるものだったのでしょうか。 朱慈烺の即位と改元は事実だったのでしょうか。

[15] 朱慈烺の即位改元が事実だったとして、 その庇護者は誰だったのでしょうか。 既に呉三桂勢力の元にあったのでしょうか。 それとも当時北京を支配していた李自成だったのでしょうか。 (「明朝天数未尽」と書かれていた >>17, >>18 ので、 李自成では無さそうです。)

[7] 中文维基百科には元号記事があります >>2 が、 使用年は書かれていません。元号一覧にも掲載されていません (古い版には掲載されていましたが、削除されました)。

[16] 日本語ウィキペディアは人物記事で言及するだけ >>11 で、元号記事はありません。

[19] その後について呉三桂も参照。 特に周啓も参照。