[1] 明治43年頃 >>5, >>2、 現在の日本国北海道網走市で板碑が発見されました。
[13] 実物の写真が >>12 と >>2 に掲載されています。どちらも白黒印刷ですが、 >>12 の方がまだ見やすい。
[8] 中央に梵字、蓮花、花瓶らしきものが書かれていました。 >>5
[9]
右に「
[10] 右の1文字目は「广」と書かれていました。 「應」の略字と考えられます >>5。
[14]
右は「
[15]
左は「
[11] 応永24年とも考えられますが、 応永何年何月かの24日とも考えられます。 清野謙次は文字の配置から24日説を採りました >>5 が、久保常晴は他の特徴も考慮して24年説を採りました >>2。
[16]
なお「
[3] 網走市出土の板碑に関連するかもしれないこと - 我が九条, https://wallerstein.hatenadiary.org/entry/20140502/1399005951