[8]
秋豊
(y~4159)
は、
渤海の元号とされるものの1つです。
[9]
の大韓民国等の報道によると、
ロシア連邦領外満州の沿海州地域にあるコルサコフカ寺院址で出土した瓦から、
「秋豊己亥六月」
とはっきり読み取れたとのことです。
>>1, >>2
[10] >>1 には写真が掲載されているとのこと (ウェブでは閲覧不可)。
[11]
渤海国王大玄錫の元号でと推定されていました。
>>2, >>3
[12]
推定の根拠は不明ですが、遺跡の年代から己亥年を探したものでしょうか。
[13]
ところが続報が見つからず、以後の学術研究等から参照もされていません。
いったいどうなってしまったのでしょうか。
[14]
興味深いことに、近代にコルサコフカは秋豊と呼ばれていた形跡があります。
あるいはロシア領となる以前からの元来の地名かもしれません。
[15]
検索してもあまり用例は出てこないのですが、
ロシア領になっていた近代には既に衰退しつつあった呼称なのでしょうか。
[4] 東部吉林省経済事情, 南満洲鉄道東亜経済調査局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1454099/1/360
[5] >>4 満州方面の地図。
「露」と書かれたエリア (ソビエト連邦領外満州) の地名として、
「コルサコフカ
(秋豊)」
が描かれています。
[6] 朝鮮 - Google ブックス, 第74号,
朝鮮総督府,
,
https://books.google.co.jp/books?id=KFVEAQAAIAAJ&q=%E7%A7%8B%E8%B1%8A%20%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%AB
... 我が一町一段(三千三百坪)に當り收穫高は精白後に於ける日本石數を示す由是觀之一町步平均の收穫は精白米十六七石乃至二十一二石にして其率たるや日本内地のものに比して稍劣るのあるも勞力竝に資力の點に於ては殆ど比較になら報○秋豊○カコルサコフ ...
[7]
朝鮮史研究会論文集 - Google ブックス,
第40卷,
,
https://books.google.co.jp/books?id=DmlGAAAAMAAJ&q=%22%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%AB%22++%E2%80%9D%E7%A7%8B%E8%B1%8A%E2%80%9D
133 ページ
『皇城新聞』は、ウラジオストックの三八三戸四六九〇人、秋豊(コルサコフカ)の四五三戸四二四三人をはじめとして、総計三三四四六名の朝鮮人が居住して、ロシア国籍を取る。しかし、韓国政府は鴨緑江対岸の自国民に対する「管轄権」の行使について豆満江 ...
[16]
件の瓦銘文も元号名干支年表示というわけではなく、
地名と干支年を併記したに過ぎないということなのかもしれません。
[17]
それだとしても銘文を検索しても全然情報が出てこないのは謎です。
注目されることなく忘れ去られているのでしょうか。
[20]
元号名干支年表示の用例としては少し時期が早すぎるようにも思われます。
[18] コルサコフ遺跡についてはこちらに言及がありますが、
同じ遺跡を指しているのでしょうか。
のロシア語論文が引かれています。