[23] 1例のみ知られていますが、異本により表記が異なります。
[11]
>>9, >>12, >>16 の写本と文書原本との字形の関係は定かではないのですが、
>>9, >>12, >>16 写本字形は明らかに禄であって祖ではありません。
[25] 昭和時代に 新編会津風土記 を出典に、 異年号であると考えられ、次いで私年号的諸資料に分類しなおされたものです。
[26] これまでに知られている用例はその1系統のみです。そこで 新編会津風土記 の諸本を調べてみると、 Web 上で画像を閲覧できるもののうち、
... ことがわかります。
[30]
また、少し前の丁には同じ文書群に属する「永禄十年丁卯」「永禄十二年」
の文書も収録されています。草書の字形は >>35 とほぼ同じであり、翻刻本は
大日本地誌大系を含めすべての本が禄と読んでいます。
[46] 干支年および固有名詞 (>>40, >>41) より、 >>35 は永禄を意味すると断定できます。
[31] 諸本の系統関係を確認する必要はあるものの、現在判明しているこれらの情報を総合すれば、 大日本地誌大系 編纂過程で何らかの誤りによって1箇所だけ永禄が永祖に転訛した可能性が高いといえます。
[21] の 新編会津風土記 翻刻本で、 >>35 が永祖︀として掲載されました。
[33] 昭和40年の久保常晴の論文では、 同音異字の異年号の表に永禄として収録していましたが、 説明はありませんでした。 >>32
[38] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 異年号・私年号でなく私年号的諸資料として、 次のように述べています。 >>37
[8] 中文版维基百科の一覧表は、 永祿において 日本私年号の研究 を出典に 新編會津風土記が誤って永祖とする、 としています。 >>7
[24] 日本私年号の研究が私年号ではないと判定したためなのか、 その後の私年号研究の文脈ではほとんど紹介例が見当たりません。
[17] 宮城中世郷土史(伊達一族物語編), , https://tm10074078.web.fc2.com/date1000.html
御社名をめぐっては、一条天皇の時代、989年(永祖元年)、平安時代中頃、京都三条に住む刀匠小鍛冶宗近が、勅命で宝刀を鍛えるための霊水をこの水神宮で見つけ、無事鍛えることができた。
[18] 郷土歴史倶楽部, , https://www7b.biglobe.ne.jp/~tm1007/history14000.html
御社名をめぐっては、 一条天皇の時代、989年(永祖元年)、平安時代中頃、京都三条に住む刀匠小鍛冶宗近が、勅命で宝刀を鍛えるための霊水をこの水神宮で見つけ、無事鍛えることができた。