根子

根子

[1] 根子

Webページ

[2] 根子番楽と集落の散策を堪能〜根子フットパス, , http://www.city.kitaakita.akita.jp/news/2013/10/1006/footpath/nekko.htm

根子フットパスが10月6日(日)、阿仁根子集落で開かれ、市内外から訪れた約60人の参加者が集落の散策や根子番楽を堪能しました。

根子フットパスは、来年秋に開催される第29回国民文化祭・あきた2014のプレイベントとして行われたもの。マタギ発祥の地といわれている根子集落を散策し、国指定無形民俗文化財の「根子番楽」を鑑賞します。

根子集落は、朝日新聞社と森林文化協会が主催した、人の営みが育んだすこやかで美しい里を全国から100カ所選んだ「にほんの里100選」に選定されています。四方を山に囲まれたすり鉢状の集落は、源平落人伝説が残る隠れ里の雰囲気を醸しだしています。

参加者は鷹巣駅や角館駅などの最寄駅から、それぞれ内陸線に乗車し笑内駅に集合。笑内駅からは案内人の説明を受けながら散策。全長575mの根子トンネルや集落を一望できる高台、根子山神社などのポイントでは足を止めて案内人の説明に耳を傾けていました。

昼食会場の根子児童館では、集落のお母さんたちが作るきのこ汁とおにぎりを堪能。

番楽伝承館で行われたセレモニーでは、大穂耕一郎実行委員長が「来年は国民文化祭2014が秋田県を舞台に全県規模で行われますが、今回はそのプレイベントとして、この会を催すこととなりました。準備段階であるため、不手際もあると思いますが、皆さんの声を聞いて、来年はさらに磨きをかけた良いものにしていきたい」とあいさつ。

津谷市長は「バター餅は昨年から大変有名になりましたが、北秋田市には、ほかにも埋もれている食べ物、文化、芸能、歴史があります。一つ一つ掘り起こし、磨きをかけて、発信していきたいと思っていますので、

これからも北秋田市をよろしくお願いします」と歓迎のあいさつを述べました。

根子番楽公演では、演目前の口上の後、舞台の両脇に控えた笛と太鼓、鉦などの軽快なお囃子に乗って小学生による舞「露払い」から始まりました。続いて、能のように面をつけた演じ手が天地長久を祈って舞う「翁舞」、牛若と天狗の兵法比べを表すという勇壮活発な「鞍馬」、仇討のために修行に努める舞曲の「曽我兄弟」、旅の山伏が蛇身を祈り伏せるという舞曲「鐘巻」など5つの演目が次々と披露され、参加者は、独特の小気味良いテンポで演じられる舞の数々に惜しみない拍手を送っていました。

この後、参加者は思い思いに集落を散策しながら山里の初秋を

[3] 隧道探険隊, , http://yamaiga.com/tunnel/nekko.html

私がこの隧道の存在を、地図上で初めて認めたとき、一瞬にして大変な興味が沸き起こってきたのを覚えている。

国道から、突如山のほうに突き出して描かれた一本の長いトンネル。

まっすぐなトンネルは、その線の細さが、より長さを強調し、一キロはあろうかと見えた。

そのトンネルの先には、「根子」の文字と、小学校のマーク。周囲は、本当に何もない。

ただただ、いくつもの等高線が、この小さな「文」の周りを包み込んでいた。

そして、さらに不思議であったのが、この根子の先に、道が描かれていなかったこと。

それまで直線の長いトンネルは、バイパスのもの、幹線のもの、そんなイメージがあった。

しかし、ここは違うように見える。

町の中心部からは遠く離れた山中の小集落(にしか地図上見えない)のためだけに、長いトンネルが掘られるなんてことが、あるだろうか?

わたしは、こんな疑問を持ったまま、ついにこの隧道を訪れる機会に恵まれる。

それも、これまで、3回。

2002年10月、土砂降りの雨の中、見も心も凍りついた私のまえに、変わらぬ姿を見せた隧道と集落。

今回は、その紹介である。

午後1時過ぎ、天候は文句なしの雨。気温、9度。

寒すぎる。

雨具のない私の体は、冷えきり、表情も消えていた。

黙々と、まるで作業のように攻略(鷹森林道、阿仁105号線旧道)を繰り返してきたこの日の私に、次の標的が現れた。

国道から右折する、一本の舗装路。

これが、根子入り口であり、標識もあるし、バス停もある。

やや広めに作られた1車線の道。

蛇行しながらの勾配がきつい。

正面には、もうトンネル以外ではこれを越えることはできなさそうな、切り立った杉林。

大粒の雨が見上げる私の顔面を激しくたたく。

目が痛い。

幸い上りは短いが、少しこの上りで“ヒートアップ”して、体温を稼ぎたい気持ちもあった。

それは適わず、ただ不愉快な疲労感だけが、かすかに残った。

それでもなお、隧道との再会を前に、胸が高鳴る。

そのままの角度でさらに少し上ると、見えてくる。

根子トンネルだ。

早こぎで、急接近。

眼前にその姿を現した根子トンネル。

ガッチガチにコンクリで固められた、威嚇するような壁。

スケールがでかい!

のに、トンネル細い!!

きたきたきた!

名物、だんごのような3連標識にくっ

[4] 根子の名物トンネル | あきた元気ムラ!秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト, , http://common.pref.akita.lg.jp/genkimura/village/detail.html?cid=9&vid=0&id=56

「ジブリ映画の世界に入ったみたい‥。」この感想に多くの人がうなずく「根子トンネル」。隠れ里と呼ばれる根子と国道とを結ぶ道として、1975年に開通。それ以前、集落の出入りといえば、山登りを意味していました。その後、地域住民にはもちろん、名物トンネルとして観光客が訪れるようになりました。トンネル内は一車線、対向車が来ると車避けのスペースで待機。その後、「ありがとう」のクラクションを合図に再度発車するという、なんとも和やかな雰囲気が漂うこのトンネル。こうしている今もきっと誰かが、クラクションを鳴らして発車するところでしょう。

[8] 根子集落, , http://www.kensoudan.com/firu-kita-y/ani/neko.html

根子集落概要: 根子集落は平家の落人や源義経の家来が開いたとの言い伝えが今でも残っている。四方を山が囲い、現在では根子トンネルが通っているものの、それ以外に集落に出入りできずこの伝説もまんざら嘘とも思えない雰囲気を感じがします。根子に伝わる「根子番楽」も周囲の「ささら踊り」とは異なり物語性を持ったもので、異質な踊りだそうです。案内板には歌詞が非常に優れた内容をもち、舞の形式が能楽の先駆をなす幸若舞以前のものであると書いてありました。又、根子はマタギの里としても有名で現在でもマタギを継承している人達がいるそうです。ここでも他のマタギの里と異なるそうです。通常マタギは「里マタギ」と言って自分達の住んでいる地域(縄張り)を中心としているのですが、根子では「旅マタギ」と言って全国に展開しています(当時は山の奥に居ながら中央の情報をいち早く知る事が出来たそうです)。その風習や言葉(マタギ言葉は通常の言葉ではなく暗号の様でマタギの最中は通常の言葉を話す事が出来ない。そのことから、マタギ隠密説を唱えている人もいます。)など、かなり独特で解明されていない事が多く、大変興味深いものです。

※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「秋田県WEB観光案内所」は「秋田の歴史」、「羽州街道をゆく」、「秋田市歴史地図」、「あきた滝300」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」、「秋田のお寺」、「秋田の神社と神々」、「歴史道路報告書」、「佐竹氏と久保田城」、「秋田の温泉」、「有限会社建築相談センター」、「たった1人の秋田まちづくり委員会」、「秋田羽州街道ひとり旅」、「秋田県の建物と街並み」、「小野小町」、「秋田フィールドワーク」を参考にさせていただいています。

[9] 埼玉県の中にある練馬区[!?]…日本列島飛び地の謎[?] | おじさんのスポーツおたく奮戦記?, , http://ivory.ap.teacup.com/issan/915.html

岡山スポーツをまとめて応援するおじさんの気ままな戯言です。お気軽にお立ち寄り下さい。

背景を変えてみました。ベーシックなissanで勝負です(笑)

晴れの国から、岡山スポーツの応援をメインに様々な話題も拾っていこうと思います。

今後ともよろしくお引き立て下さいませ。

飛び地シリーズの第2弾です。地図に載らないほど小さな飛び地は日本各地にあります。今回は、たった7軒の民家と畑を含めてわずか563坪の飛び地の話です。

では、再び『日本列島飛び地の謎』よりの抜粋です。

-----------------------

東京都の飛び地が、都県境を越えて埼玉県にある。練馬区西大泉の一部が、埼玉県新座市の中にまるでガラスの破片のように飛び離れているのだ。

なぜこのような飛び地が発生したのか。土地台帳に誤って記載されたためだとか、開発業者が住宅を建築する際に、新座市の土地を練馬区だと思い込んで、間違って練馬区に申請してしまったからではないかなどと諸説あるが、本当のところはよくわからないらしい。

だが、飛び地とはいっても、練馬区の本体からわずか数十メートルしか離れていない。それでも周囲をすべて新座市に囲まれているのだから、れっきとした飛び地である。飛び地の面積はわずか1,859�u(563坪)と小さく、その中に7軒の民家と小さな畑がある。その民家も一列に並んでいるわけではなく、新座市の民家と練馬区の民家が入り交じっている。具体的にいうと、飛び地の一画に14軒の家があり、そのうち7軒が練馬区で7軒が新座市の家。8軒と6軒、2列に並んでいるが、そのうちの1列には新座市の家が6軒と練馬区の家が2軒、もう1列は5軒が練馬区で1軒が新座市の家なのである。これからもわかるように、練馬区にある家の両隣が新座市の家という複雑さなのだ。

1962(昭和37)年に施行された「住居表示に関する法律」に基づき、練馬区の本体は住居表示法が実施されて「西大泉1丁目〜6丁目」という新しい住所になっているが、飛び地は住居表示法が実施されておらず、「西大泉町1179番地」という旧住所のままだ。

飛び地で一番気になるのが行政の問題だろう。例えば、上下水道は新座市からサービスを受け、ゴミの収集は練馬区が行っている。また、住民税は練馬区に納めているが、水道料金は新座市に払っている。飛び地はあくまでも

[10] 根子トンネル, , http://aoft291.pro.tok2.com/tunnel/nekko.html

根子トンネル(北秋田市)

延長575.8m 竣工1975年

根子番楽やマタギで知られる根子(ねっこ)と国道105号が通る笑内(おかしない)とを結ぶ。

500mを越えるが、車がすれ違えないほど狭く2箇所に待避スペースが設けられており

トンネル入り口にはそれを示す標識が設置されている。

待避スペースの様子。トンネル内部は直線。

根子側。トンネル前は直角カーブで、かなり広く作られている。

銘板。当時の県知事であった小畑勇二郎氏(故人)によるものとある。

ほとんど根子集落に行くためにあるようなトンネルだが、このようなものを見ると

トンネルの開通がいかに大きな意味を持っていたということが伺える。

戻る

[11] 根子フェス:トンネル内で芸術家らが演舞−−北秋田 /秋田- 毎日新聞, , http://mainichi.jp/feature/news/20131008ddlk05040126000c.html

マタギの発祥地、北秋田市根子集落の根子トンネルで6日、アーティストらが独自のパフォーマンスを繰り広げる「根子フェス」があった。

大館、北秋田両市を舞台に27日まで開催中の「ゼロダテ美術展2013」の関連イベント。舞台となったトンネルは延長575・8メートル(幅4・25メートル)で1975年3月、県が農道として整備した。

光と音で演出したトンネル内では、振付家としても国内外で活躍する池宮中夫さんやヒップ・ホップのテクニックをベースに独自の表現を実践するKENTAROさんらが独自の振り付けによるダンスや歌を披露した。パフォーマンスに観客も興味津々で大喜び。五城目町高崎の会社員、石井言絵(ことえ)さんは「トンネルが舞台というのも面白い」と話した。【田村彦志】

関連記事

大綱引き対決:土崎VS新屋 地域の名誉とプライドかけ、4年ぶり 秋田で来月13日対決 両地区代表が調印式 /秋田

(09月05日 11時35分)

傷害:児童が切られ軽傷 下校中、自宅玄関前で男に−−由利本荘 /秋田

(08月30日 11時13分)

ぐるっと秋田:本荘由利特集 美少女キャラの名前公募 「まごころ列車」乗務、アテンダントの設定−−由利高原鉄道 /秋田

(08月07日 12時04分)

北朝鮮・拉致問題:拉致被害者家族、早期解決へ訴え−−秋田 /秋田

(08月06日 12時13分)

能代七夕:よみがえった大型灯籠 /秋田

(08月04日 11時25分)

[12] 隧道探険隊, , http://yamaiga.com/tunnel/hiyama.html

当隧道の正式な名称と竣工年度および林道の名称を、『山形の廃道』サイトの作者fuku様よりご教授いただきました。 ありがとうございます!

名称:日山隧道

竣工年:昭和9年

林道名:西郡林道

以上の内容を踏まえ、レポート本文を一部手直ししました。

山形県は最上郡の山中に人知れず朽ち行く隧道がある。

その名を、日山隧道という。

鮭川村西部の山間部を激しく蛇行しつつ流れる、その名も曲川。

その曲川沿いに点在する隠里のような山村地帯が西郡である。

西郡から標高294mの小山である日山の真下をくぐり、真室川町へと抜ける林道は西郡林道と呼ばれるが、そこに廃隧道がある。

他に迂回路のない隧道が廃道化しているのだから、これは比較的珍しい。

考えられる理由は、あまりに通行量に乏しく自然消滅的に朽ちて行ったか。

それとも、…災害などによる甚大な被害による“突然死”か。

この峰越の隧道に迂回路はない。

故に、万が一通行できなかった場合のことを考えたアプローチが望ましい。

そう思い、当初、交通の便が良い真室川町側から鮭川村に抜けるコースを狙ったのだが、この写真の場所の先にどうしても目的の道を探し当てる事ができず、やむなく、計画を変更して、はるばる鮭川村へと南下する羽目になった。

…実は、隧道へと続く正解の道は、この写真に写っていた。

左に写る農機小屋のような建物の手前の駐車スペースの左にさらに、林道が伸びていたのだ。

さすがに…気づかなかった(不覚!)

鮭川沿いの良く整備された村道を南下し、岩下という場所から県道58号線に入る。

西へと進むと間も無く小さな峠を越え、曲川という目指す西郡地区の玄関と言える集落へと到着した。

途中の小さな峠には、私の手持ちの地図には小さなトンネルが描かれていたが、どうやら切り通し化されてしまった様である(残念!)

さて、この曲川集落だが、この地へをはじめて訪れた私の驚きは、本物であった。

なんせ、“こんなところに人が住まう集落が…”と言うのが、失礼を承知で言わせてもらう、正直な感想である。

現地の地形は、まさに、山中の小盆地であり、まるで…忍者の隠れ里のようである。

県道377号線と言う、舗装されているとはいえ何とも頼りない道(勿論1車線)がメインストリートであり、商店は一軒も見当たらなかった!!

どうして、こん

[13] 「秋田内陸縦貫鉄道ブログ」 : とっておきの場所「根子集落」!, , http://blog.livedoor.jp/nairikutetu/archives/50687716.html

秋田のローカル線「秋田内陸縦貫鉄道」の魅力をリポートします!

鉄道、沿線のいいところ、おもしろい人…などを内陸線社員、アテンダントなど総勢19名が毎日更新でお届けします!

トモトモ鉄道です。 このたびの震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 震災の影響が、なかなか収束する気配の見えない日々に不安の毎日ですが、未来を見据えて前に進みたいと思っている今日この頃です。 さて、私事でありますが、、、 役所の常、人事異動により、 4/1付けでここ(秋田内陸 活性化本部)を離れることとなりました あっという間の1年でしたが、 たくさんの方々に支えられながら何とか努めることが出来ました。 この場を借りて深く感謝申し上げます。 最後のブログ更新となりましたので、 今回は、秋田内陸線沿線でわたしが特に思い出に残っている場所、味覚をご紹介させていただきたいと思います。 (少し長くなるかもしれませんが、ご容赦のほど) それは、やはり、なんといっても「根子集落」です。 (場所はこちら です!) 内陸線「笑内駅」から歩くこと約20分のところにある「隠れ里 根子集落」。 集落へ通じる入り口にあるのが、こちらの根子トンネル! 1975年に竣工した、延長576mのトンネルです。 向こう側が、全然見えない1車線のトンネルです。 (歩いて抜けるのがオススメ) このトンネルを抜けると・・・・ 目の前に広がるのが日本の里100選にも選ばれた 「根子集落」!。 平家の落人の里とか、源氏の子孫の隠れ里などというお話しもあります。 現在、約70戸、170名の方が暮らしています。 ここ数年、集落の人たち主催のイベントや県・商工会主催のモニターツアーなどが行われ、少しずつですが知られるようになってきました。 集落には、古民家を改造した「二又荘」という建物があります。 ここでは、予約により、地元のお母さんたち手作りの郷土料理を堪能することも出来ます。 (連絡先 → 阿仁の森ぶなホテル TEL0186-82-2400) これは、モニターツアーの様子です。  この食事が本当においしい!!! わたしが内陸線沿線で食べた食事の中で、一番舌に残っている味覚です。 ぜんまいの一本煮(極太)、大根のクルミ和え、キノコの和え物、地野菜の煮付け、手作り漬物、つきたてあんころ餅・・・あー、思い出すと、腹が鳴ります、体が欲する

[14] 廃線レポート 杉沢森林鉄道, , http://yamaiga.com/rail/sugisawa/main2.html

2015/11/13 10:19

2005年11月6日の探索は、前回紹介した木製桟橋の発見を皮切りとして、なおも続く。

そして、それから数時間を待たずして定めしゴールへと導かれるのであるが、それから10年と7日の後の再訪も、全く同じルートを辿った。

ここから先は、2015年11月13日の探索にバトンタッチする。

これは単純に、新しい探索の方がより“レポート”として価値が高いと思うからそうするのであって、深い意味は無いが、適宜10年前に撮影した写真も利用していきたい。

以後、この回からは、特に指定のない限りにおいて、2015年の写真を使う。

現在地は、木製桟橋から300mほど先に進んだ森の中である。

歩き出しからは約1km、残り2/3弱という中盤である。

この間にも明瞭にそれと分かる軌道跡が続いており、小規模な石垣や、廃レールを用いた電信柱、浅い掘り割り、小さな築堤、路盤を横切る浅い開渠などなど、色々なものがあるが、いずれも全線にわたって頻出するものたちなので、印象的な場面まで飛ばしている。

この、やや広いなだらかな土地に広がる杉の植林地には、連続するカーブがS字の形に、浅い掘り割りとなって刻まれており、これがいかにも“林鉄らしく”愛らしいのである。

使い古された表現ではあるが、カーブの向こうから今にも運材列車が現れそうな雰囲気。あるいは、見えない枕木やレールが目に浮かぶ風景というやつだ。

数十メートル続くグネグネカーブの浅い掘り割りを抜けようとする場面には、こんなものが残っていた。

路傍に、まるでキャンプファイヤーの焚木のように積み上げられた、苔生しの木材。

刺さったままの犬釘も鮮やかなこれらの正体は、撤去されて積み上げられた 枕木 に他ならない。

このように撤去枕木を井桁状に積み上げてあるのは、他の林鉄跡でも見たことがあるが、この杉沢林鉄では異例なほど多くそれが残っている。本路線では、撤去した枕木の大半が他へ運び出されることなく、現地に残されたことが伺えるのだが、管内最後の廃止路線ともなれば、鉄屑として売却できる廃レールと異なり、枕木については転用のために運び出す必要が無かったのだろう。この写真の場面も、そうした枕木の山の一例に過ぎない。中盤以降は、長くても100mと空かずに、こうした残骸が残っている。

わざわざ枕木の撤去をしたのは、一時期

根子トンネル

根子トンネル

履歴

[15] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933408816

メモ