[2] 日本国山梨県山梨市の窪八幡神社の別当上之坊普賢寺伝来です。 >>251
[3] 前半王代記18丁と後半年代記21丁で構成されます。 >>251
[4] 前半王代記は帝王編年史で、神代から後土御門天皇まであり、 巻末に寛正7年からの甲斐国関連の記事があります。 文頭に大永4年の書写とあります。 >>251
[5] 後半年代記は継体天皇から正保2年までの甲斐国の重要事項の記事があります。 >>251
[24] 年代記部分は、 各葉を20桁で割って20年分とし、 上部に干支年、 本文は上中下の3段で記載しています。 >>258
[25] 干支年の下は、元号年とその年の簡単な記事です。 >>258
[23] 年代記の元年には年号と干支年を書き「元年」とは書かないスタイルです。 >>258
[26] 平成時代の歴史研究者勝俣鎮夫は、 大永5年条に基づき王代記の筆者は京暦とも三島暦とも異なる暦を用いていたとし、 これを甲州暦と呼びました。 >>258
[22] なお、高白斎記では大永六年元旦は己酉です。 >>258
[21] 富士吉田市史 : 市政三十年のあゆみ 行政編 下, 富士吉田市史編さん室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9570000/1/30 (要登録)