文亀

文亀

文亀

[2] 日本の元号 戦国時代

文鬼

[6] 石巻地方の歴史と民俗 : 宮城県石巻工業高等学校創立十周年記念論集, 石巻工業高等学校, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569110/1/46 (要登録)

文亀元(1501)年か、しかし亀と鬼では合わない、廃寺板碑下限に35年空白ある

[3] https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/29/29528/21407_1_%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%B8%82%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A.pdf #page=21

私年号

文亀とすると廃寺の他の板碑の下限よりかなり下がる、書風も違う、 文亀とするのは無理か、かといって別案もなし

#page=37 拓影 (解像度低く紀年部分の判読難しい)

[7] 史迹と美術 59(9)(599), 史迹美術同攷会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6067487/1/26 (要登録)

私年号か 文亀元(1501)年

[8] 史迹と美術 68(1)(681), 史迹美術同攷会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6067568/1/15 (要登録)

(ママ)

[1] 専称廃寺跡 私年号 名号石塔婆 () http://kawai24.sakura.ne.jp/miyagi-isinomaki-sensyohaiji6.html

専称廃寺跡 名号石塔婆 (南北朝~室町時代 文鬼元年、粘板岩、高さ 94Cm 幅 21Cm 厚さ 8Cm)

石塔婆は、中央に大きく「南無阿弥陀仏」の六字名号、その下に「文鬼元年七月廿九日」の私年号、下方の左右に「臨阿弥陀仏、孝子敬白」と刻む。

名号の下に「文鬼元年七月廿九日」、向って右側に「臨阿弥陀佛」、左側に「孝子敬白」と刻む。

全国的には、同音異字を刻む例がレアケースとしてあるという。であれば、文鬼元年は文亀元年(1501)ということになるのだが。

本石塔婆群の中で、種子を刻んだ碑は南北朝時代に現れるが、それには「孝子敬白」又は「施主敬白」と刻まれている。また、本石塔婆群の中で、

名号を刻む碑の下限は永享二年(1430)で、種子を刻んだものは長享年間(1487~89)になっている。いずれにしても、本石塔婆が南北朝から室町

時代中期の間に造立されたことは間違いないとおもわれる。であれば、文鬼元年が文亀元年(1501)となっても信じられる。口口口口

[5] 歴史考古学 (30), 歴史考古学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7951478/1/25 (要登録)

1501 (特に説明なし)

[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

私年号異説元年相当公年号(西暦)継続年数典拠・備考
文鬼-文亀元年(1501年)不明宮城県石巻市専称寺跡板碑。公年号「文亀」の異表記。

[4] , http://www.maroon.dti.ne.jp/andou3/andouke_rekisi/andouke_rekisi.htm

1501文鬼元年惟次豊前馬ヶ岳於いて戦死

意図的か誤変換か不明

メモ

[9] 神奈川大学 学術機関リポジトリ, https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/records/14171 #page=49 #page=91

延長年号 +1月