応神天皇後空位年

応神天皇後空位年

[2] 日本書紀では、 応神天皇の記事が41年の崩御の年で終わっていました。 >>1 次の仁徳天皇即位前紀に、 41年の崩御の後の出来事が年紀なく書かれ、 仁徳天皇元年に続いていました。 >>9

[7] 日本書紀暦日原典天皇即位紀年を空欄にしていました。 >>8

[4] ウィキペディアの対照表は前後どちらの天皇即位紀年にも含めず、 「空位」の「(1年)」「(2年)」としていました。 >>3

[6] ウィキペディア年表は 「応神天皇43年(空位三年目)」 と書いていました。 >>5

[11] ウィキペディア菟道稚郎子記事は、 生没年「生年不詳 - 壬申年」、 「壬申年は応神天皇41年(崩御時)の2年後で、仁徳天皇元年(即位時)の前年にあたる(いずれも『日本書紀』による)。」 と書いていました。 >>10

[12] この時期の紀年法については神武天皇後空位年日本古代の日時も参照。