応久

応久

[3] 民俗芸能研究 (27), 民俗芸能学会編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7959577/1/11?keyword=%E5%B4%87%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[4] 広島県の神楽, 真下三郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12432042/1/95?keyword=%E5%B4%87%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[1] 幻の演目――広島十二神祇神楽の将軍舞: 薄味, https://woodenplane.air-nifty.com/log/2018/01/post-3797.html

三村泰臣「将軍舞考―安芸の十二神祇の世界―」に筒賀村の大歳神社(筒賀神社)に所蔵される「正行本(しょうぎょうぼん)」の内容が収録されていた。現存する最古の詞章と思われる。こなれない訳であるが、以下の通り要約してみた。

『諸正行大全』将軍

〇抑(そも)そも天大将軍殿と申すお方は過去の崇宝元年丙寅(ひのえとら)年閏(うるう)三月の初三日丙寅の日の寅の時にお誕生した。

〇次に祝詞

〇抑(そも)そも天大将軍殿と申し上げるのは、過去の崇宝元年丙寅(ひのえとら)の年閏三月初めの三日丙寅の日の寅の時にご誕生なさったと申す。上旬三日は天大将軍殿のお誕生なされたと申す。中旬三日は中大将軍殿がご誕生なされたと申す。下旬三日には地大将軍殿がご誕生なされたと申す。

右 将軍終り

(明治三十六年十月二十二日写、筒賀村梶原神楽本)

三村泰臣氏と谷本浩之氏の双方の資料を参照した。

以下、三村泰臣「将軍舞考―安芸の十二神祇の世界―」に収録された『諸正行大全』将軍舞の原文を掲示する。なお、カタカナはひらがなに修正した。

〇抑も天大将軍殿と申奉るは 過にし崇寶元年丙寅年閏三月初の三月丙寅日の寅の時にぞ御誕生

〇抑も天大将軍殿と申奉は 過にし崇寶元年丙寅の年閏三月初めの三日丙寅の日の寅の時にぞ御誕生ならせ給ふと申すなり 中旬三日は中大将軍殿の御誕生ならせ給ふと申すなり 下旬三日は地大将軍の御誕生ならせ給ふと申すなり

[2] 広小路 | 広島の神楽 | 幻の演目――広島十二神祇神楽の将軍舞, 三つ櫻, , http://hirokouji.on.coocan.jp/broadstreet/contents_kagura/kgr_hrsm_04_shougun-mai.html

[178] 「正行」神楽歌(年不詳)(『筒賀村史 資料編 第一巻』筒賀村,H11)から... - 架空の元号 - 辛酉2641 - はてなハイク () http://h.hatena.ne.jp/kanototori/9234092723821265077

「正行」神楽歌(年不詳)(『筒賀村史 資料編 第一巻』筒賀村,H11)から。

「崇宝」が、

「将軍」と「恵比寿正行」に登場。

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抑モ天大将軍ト申奉ルハ、過ニシ崇宝元年丙寅年閏三月初ノ三日丙寅ノ寅ノ時ニゾ御誕生

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仰モ恵比寿三郎殿ノ御本地ヲ尋ネ奉レバ、過ニシ崇宝元年乙ノ巳閏正月初ノ三日巳ノ年ノ日ノ巳ノ刻ニテコソ御誕生

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「応久」が、

「王尼ノジヤク」に登場。

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扨テ応久三年己未正月大郎ノ月、二月キサラギ、三月ヤヨイ、四月ウ月、五月サミダレ、六月ミナツキ、七月タナバタ、八月コマクラベトテ十六日ヨリ巳ノ刻ニ御口戦初テ候

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筒賀村大歳社の神楽歌:広島県安芸地方の山間部は神楽が盛んな地域で、方々の神社に神楽関係資料が 所蔵されている。そのうち山県郡筒賀村の大歳社にある神楽資料は江戸時代後期からの貴重なものである。 本稿の主題と関わるのは幕末から明治にかけて使用されていた神楽の詞章帳である『正行本』、でそこに 収録された神楽の詞章のうち「将軍」「恵比寿」に「崇宝元年」が、「尼ノジヤク」に「応久三年」が登場す る。これらはいずれも明治期に筆録されたものであるが詞章そのものは江戸時代に遡り、特に旧舞に属す る「将軍」は寛延~明和年間(一八世紀中頃)に行われたという。

[5] 縁起が良いぞろ目が選ばれているのでしょうから、 意味のある日付なのかどうかはわかりませんけど、 「丙寅年閏三月」 はそうそうあるものではなさそうですよね。 しかし貞享3(1686)年丙寅閏3月3日は丁亥でした。