[1] 天喜を天寿と表記したものがそれなりにあります。
天寿
[229] 更級日記一本注釈に、
「天寿五年七月卅日従五位上橘俊通任信濃守得替公文」
とあります。
>>228
[230] >>228 の校注は天寿5年は天喜5年だと書いています。
[235] 当写本は鎌倉時代に遡るものとされます。 >>231
[234] 他系統の写本では「天喜」となっている (少なくても通行本ではそうなっている) ようです。
- [232]
更科日記 : 校註, [菅原孝標女, 佐佐木信綱 注, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/888758/1/47?keyword=%E5%BE%93%E4%BA%94%E4%BD%8D%E4%B8%8A%E6%A9%98%E4%BF%8A%E9%80%9A
- [233]
国文学大講座 第19, 日本文学社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1120207/1/83?keyword=%E5%BE%93%E4%BA%94%E4%BD%8D%E4%B8%8A%E6%A9%98%E4%BF%8A%E9%80%9A (要登録)
- [228] 校本浜松中納言物語, 小松茂美 [校], , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1361366/1/515?keyword=%E5%A4%A9%E5%AF%BF (要登録)
[36] >>35 天壽とあるが、天喜の誤植。正誤表で訂正されている。
[38] >>37 >>49 萬寿、永承、天寿、久安、と並んでいるので、この天寿は天喜の誤りと思われる。
柞原文書が出典だが、原文の誤りか誤植なのか不明。
壽と喜は誤りやすく、寿はそうでもないので、
出版時の誤植ではなくもっと前の段階で混入した誤りか。
[167] >>166 前後から天喜であることは確実
[934] >>90 の 934 の奥書
永承六年二月三日隨常林御房 一交之了
始自天壽二年八月十六日至十八日奉隨宣相房重交了
天喜の誤りと思われる。誤植か誤記か不明。
後冷泉天皇の天壽
[241] >>240 丹後守公基朝臣歌合 天寿六
年八月
(公基家歌合 天喜六年)