天才てれびくん
[24] 天才てれびくんの番組名の由来は? 「良い子のみんなが天才てれびくんを通してもっと賢くなるようつけたんじゃ。」 (by プロデューサーのてっちゃん、 (番組2年目) オープニングトーク)
[27] >>26 初回放送の冒頭部分ダイジェスト (相当カットされている)。
[7] 天てれのエンディングはてれび戦士が歌っているところですけど (最近は毎年レコーディング風景ですけど)、これってがんばってダーリンからずっとそうだったのですね。すっかり忘れていました。 (初代の You You You だけは違って、1年目はオープニングの逆再生、2年目の最初は幾何的(謎)映像。それ以外のときも、ジーンダイバーの総集編はダイジェストだったりする。)
[14] >>7 You You You の映像は、水色の背景に、一年目は万華鏡風の模様、 二年目は円が泡のように膨らんだり縮んだりする模様 (いずれも動画) でした。 その上に、歌の最初の方は視聴者のイラスト、その後その日にやったコーナーのダイジェスト (ただし、当日放送分じゃなくて、毎回同じ静止画) + スタッフ、 続いておあいこトリオ + TV 戦士が1〜3人ずつ順番に出て、 最後にオープニングの最初の方の逆再生で終わります。
総集編では TV 戦士紹介がなくて、その分ダイジェスト & スタッフでした。 ただし恐竜惑星やジーンダイバーは完全に別バージョン。
[23] 1年目(1993)通常放送の YOU YOU YOU はダチョウ倶楽部とてれび戦士の衣装が前半と後半で違うので、2バージョンあります。
[25] ダチョウ倶楽部 (おあいこトリオ) の衣装は 1994年4月11日オープニングトークから2年目新衣装。
[17] 天才てれびくん MAX ではエンディングでてれび戦士の変な顔とかやってますけど、 そのネタはもう10年も前にやってたのですねぇ。
[8] ジーンダイバーといえば、第1回の本放送のアイキャッチにパックが出てたり、エンディングでプグラ(ryが出てたり、ひどいねたばれいい予告ですねぇ。
[9] ミステリー・トラベラー、存在自体忘れてましたけど、懐かしいなあ。バーチャル3部作とは明らかに色が違いますけど (アニメが出てこないし、生物ものじゃないし)、あの場所は明らかにバーチャル・ステーションでしょう。科学的内容は・・・うーん、ノーコメントということで。
[10] 2年目の月曜日の「あの人にあいたい」の第1回目 (2004年4月11日) でキャイーンが出てますね。 (TV戦士やダチョウもキャイーンしてる。) 2年後に天てれの司会になるなんて誰が予想してたかな。
[11] なぜてんてれはてんてれという名前なのか。2年目の4月か5月の水曜日のポコ・ア・ポコの前のスタジオトークでてっちゃんが語ったところによりますと、番組を通して視聴者が賢くなって欲しいとの思いがあったのだそうであります。
[12] >>10 あの人じゃなくてこの人でした。折角ですから説明しておきますと、2年目の月曜日のレギュラーコーナーで、須山彩と清野努 (とダチョウ倶楽部) が担当していました。 (ちなみに月曜日の進行は、スタジオトーク→ジーンダイバー→この人に会いたい→月曜情報局 (てんてれについての質問に答えるコーナーで、やはり須山と清野が担当。)) 芸能人などに会いたいという視聴者と須山 &/ 清野、時にはダチョウが会いに行きました。会いに行った人としては、和田アキ子とか、萌の声優とか色々。
[13] ちなみに今では「天てれ」とか「てれび戦士」とか書くことが多いですけど、初期は字幕とかでは「てんてれ」とか「TV 戦士」とか書くのが結構普通でした。視聴者からのイラストとか、有名人に書かせたサイン色紙なんかは「天才テレビ君」と書かれているのが大半。まあしゃーないですね。
[16] 1年目の初期は、スタジオトークなども含めた完全な再放送がありました。 (詳しくは覚えていませんが、たぶん夏休みでしょう。) オープニングの初めの方でこの番組は〜に放送した物ですという字幕が入っていました。
[15] 昔のてんてれは良かったとよくいわれます。 でも今のもそんなに悪くも無いよなーと思っていたのですけど、 昔のビデオを発掘して観てみたら、昔の〜という主張は本当にその通りだと思いました。 昔のてんてれは今のとは随分感じが違う。 (記憶は当てになりませんね。) 今のてれび戦士は多すぎるという意見も、そうかもしれないと思えてきます。 8人でまたーりしてるのもいいもんだ。
ウゴウゴルーガのぱくりだろう? うん、たしかにそんな気がしますよ。 今の天てれはそうは感じませんけどね。 天才ビットくんの方が昔のてんてれに近い? うん、 その感触は間違ってないと思う。 昔から MTK があったら良かった? うーん、それはどうだろう。 だって中條くんはお・・・いや、なんでもない*1。
(*1 1994年1月放送の『お正月だよ! 天才てれびくん』でてれび戦士が『タイムマシーンで行こう』を歌っているのですが、その中で音を外している人がいるという葉書が来て、加奈たんと中條たんがカラオケ対決するというのが2年目の初めの方にありました。加奈たんは結構うまかった。)
いまのてれび戦士は選考基準に歌の上手さがきっとあると思いますけど、 昔はなかったのでしょうかね?
選考といえば、1年目か2年目のいつかの後半のコーナーで、 オーディションのときの様子が流れてましたよねぇ。
[18] 中村有沙 (名無しさん 2004-03-19 12:02:57 +00:00)
[19] 中村有沙 (名無しさん 2004-03-19 12:02:59 +00:00)
[20] 中村有沙 (名無しさん 2004-03-19 12:03:05 +00:00)
[21] 中村有沙 (名無しさん 2004-03-19 12:03:06 +00:00)
[22] 中村有沙 (名無しさん 2004-03-19 12:03:07 +00:00)
[28] 頃NHK教育テレビで放送されていた初期の天才てれびくんは、「テレビよりおもしろいもの」が流行する未来世界を舞台設定とした斬新な構成で知られている。当時、テレビは未だメディアとしての成長を続けており、インターネットはもちろん、「マルチメディア」という言葉すら一部の業界関係者や先進的な趣味層の間で語られるにとどまっていた。一般家庭においては、テレビこそが娯楽・情報の王者であり、ゲームやビデオといったメディアが徐々に存在感を高めつつあるとはいえ、テレビを脅かすような構図には至っていなかった。前後からテレビ業界のあり方に変化の兆しが見え始め、やがて平成10年代にかけては視聴率のピークを過ぎていくことになるが、平成5年当時はまだ「テレビの時代」のただ中にあったといえる。
[31] それにもかかわらず、天才てれびくんが「テレビよりおもしろいもの」が流行する未来というコンセプトを前提にしていたのは、いささか不思議な印象を与える。どうして、そのような「テレビを超えるもの」の登場を予見したような設定を持ち得たのか。この問いには、いくつかの回答が考えられる。
[29] ひとつには、NHKというメディアの特性と、教育テレビという枠組みが関係している可能性がある。NHKは商業性から一定の距離を置く立場であり、テレビという媒体そのものに対して客観的な視線を持ちやすい立場でもある。子供向け番組としての天才てれびくんは、単に子供を楽しませるだけでなく、将来のメディア環境の変化や情報リテラシーへの感度を育てる意図を秘めていたとも考えられる。つまり、テレビに依存する視聴態度から脱却し、多様な情報源をもとに思考する姿勢を促す教育的狙いがあったのかもしれない。
[30] また、業界の一部においては、西暦1990年代初頭の段階ですでにマルチメディア技術やインターネットの芽吹きに対する敏感な反応があったのも事実である。企業展示や一部の研究者、技術雑誌では、パソコン通信やCD-ROMを介したコンテンツ配信、将来的な「情報スーパーハイウェイ」の到来といった話題が徐々に語られ始めていた。NHKの制作者の中にも、そうした動向に目を向けていた者がいて、テレビが「最先端」ではなくなる可能性を、直感的にではあれ予感していた可能性も否定できない。
[32] 一方で、そうした未来設定は単なるフィクションの舞台装置として使われただけであり、特別な予見やメディア論的意図があったわけではなく、結果的に時代の先を行くように見えてしまった⸺という「たまたま」の可能性もある。子供向けSFや近未来設定では、「今の現実が過去のものとなる未来」を描くのは定番の発想であり、その一環として「テレビが廃れる」という設定が採用されたにすぎない、という見方である。
[33] したがって、平成5年という時期に天才てれびくんがそのような世界観を選んだ背景には、番組制作者の技術的嗅覚が働いていた可能性もあれば、メディア教育的意図、あるいは単なる演出上の偶然が重なっただけの可能性もある。いずれにしても、「テレビよりおもしろいもの」が主役となる時代が本当に到来した現在、あの番組が何を社会に与えたのかを、改めて問い直す価値はあるように思われる。
[34] なお、「テレビよりおもしろいもの」が主役になるという未来設定が、果たして完全に新しかったのかという点を考えると、実はそれ以前にも似た発想が散見されていたことがわかる。
[35] たとえば昭和40年代後半から昭和50年代のSFアニメや漫画作品の中には、既存のメディアや技術が相対化される未来社会を描いたものがいくつか存在する。具体的には、石ノ森章太郎の人造人間キカイダー () やサイボーグ009といった作品群の中でも、人間と機械の境界が曖昧になることで「情報の送り手」が多様化する構図が登場しており、旧来の放送メディアとしてのテレビが相対化される兆しは垣間見られる。
[37] また、昭和50年代には、OVAやメディアミックスの隆盛により、テレビ以外のメディアで展開される物語世界への注目も高まっていた。例えばAKIRA () などでは、情報やエンタメが都市構造や政治そのものを揺るがすものとして描かれており、「情報インフラ」が単なる背景ではなく中心的テーマとなっていた。
[36] さらには、ファミコン () やパソコン通信の登場も、子供たちの間での「テレビ以外の面白さ」の萌芽として確実に意識されていた。たとえば、テレビ番組の中で「ファミコンばかりしてテレビを見ない子供たち」への苦言が語られるようになるのもこの時期であり、メディア間の競合という感覚は業界内に確実に芽生えつつあった。
[38] こうした前例を踏まえると、天才てれびくんの未来設定は決して突飛なものではなく、当時のSF的想像力や子供たちのメディア経験の延長線上に位置づけられるとも言える。つまり、テレビを相対化する発想は、1970年代から1990年代初頭にかけての文化的背景の中でゆるやかに形成されていたものであり、平成5年当時の天才てれびくんは、その集積された想像力の1つの到達点として現れたと捉えることもできるだろう。