大安寺伽藍縁起并流記資財帳

大安寺伽藍縁起并流記資財帳

大安寺資財録抜書

[400] 大安寺資財録抜書 は、 神習文庫本と宮内庁書陵部本があります。 胡口康夫の校合によると、両者は基本的に同一内容だといいます。 >>360

[410] 大安寺資財録抜書 は、 大安寺伽藍縁起并流記資財帳 の抄録という形を採っていました (内題下朱書「予所伝来古巻一牒在之。天平廿年 所録也。」)。 >>360

[411] 原書の大半は省略されており、 後半の食封、墾田、薗地、庄園、庄倉などが対象となっていました。 しかも、 近江国以外の記述は大幅に省略されている一方、 近江国に関係する原書にない書き込みがありました。 また順序が原書と大きく入れ替わっていました。 >>360


[401] 神習文庫大安寺資財録抜書 には、次のようにありました。 >>360 (注釈も >>360 のまま、ただし本文からの参照用の傍線は省いた)

近江国弐百町

 野 ((ママ)) 郡百町自郡北川原幷葦原 四至 (朱筆)大篠原 東百姓熟田  西川 南里篠原鬼室 北山之限   集斯墓ノ南

 愛智郡百町(略)

[402] この条自体は 大安寺伽藍縁起并流記資財帳 にもありますが、そのうち 「大篠原」 と 「篠原鬼室集斯墓ノ南」 は、 大安寺伽藍縁起并流記資財帳 になく 大安寺資財録抜書 にだけある部分でした。 >>360, >>398

[6] 東桜谷志 によると、 宮内庁図書館所蔵 大安寺資財録抜書 に、 次のようにありました。 >>7 p.43

近江国弐百町

 野州郡百町自郡北川原并 葦 原 四至 大篠原也東 百姓熟田ノ西川篠里篠原鬼室 集斯墓ノ南北山之限

 愛知郡百町


[775] 近江蒲生郡志 所引 楓亭雑話 所引 南都大安寺資財録 には、次のようにありました >>770 (注釈は >>629 のまま, ◦と編者云は >>629 編者の注釈)

近江國貳百町 野洲郡百町 自郡ノ北川原並葦原

 四至 東百姓熟田     西 () () () () () () ()   南北山之限  編者云本書には之なしといふ

[412] また、 「合水田弐佰壱拾陸町玖段陸拾捌歩」条に 「近江国百五十六町五段百廿八󠄂歩 蒲生郡来田綿、高嶋郡川上、栗太郡梨原笠」 とありましたが、「蒲生郡」以下3つの地名はいずれも 大安寺伽藍縁起并流記資財帳 になく 大安寺資財録抜書 にだけある部分でした。 >>360

[413] さらに、 「合処処庄拾陸処(略)」条には、 「近江国六処」 として 「栗太郡一処芦浦磐村郷、野 ((ママ)) 郡一処結園庄、神前郡一処柿御園庄」、 「愛智郡一処小椋庄、坂田郡一処箕浦布施郷、浅井郡一処大嶽湯次郷」 とありました。 傍線部が 大安寺伽藍縁起并流記資財帳 になく 大安寺資財録抜書 にだけある部分でした。 >>360 (注釈は >>360 のまま、傍線は右線で行全体にかかる)

[5] 楓亭雑話 は、 南都大安寺資財録 を持ってきた者がいたが、 紙は古いものではないのに、 敢えて仰々しく見せていると書いていました。 >>8 p.98, >>24 p.401

[4] 楓亭雑話 には椿井政隆が度々登場していました。 椿井文書研究で知られる馬部隆弘は、 椿井家の古書目録に 「大安寺資財」 があることからも、 それが椿井政隆であることは明らかだとしていました >>8 p.98椿井政隆はこの地域によく現れて、 他にも 奥津野保左久良十七郷摠絵図 などを持ち込んだことが知られています。

[767] 近江蒲生郡志編者は、 楓亭雑話 が引用している 南都大安寺資財録 の原書を確認できていないと素直に認めつつ、 「某氏」が原書を見たら 「鬼室集斯墓」 とは書かれていなかった、 と不審がっていました >>629


[384] 近代地誌学者村岡良弼 (-) 日本地理志料 は、 篠原 (しのはら) に所在したとされる鬼室集斯墓を記述していました。

[388] 近江国野洲郡 篠原 郷条に、

大安寺資財帳、近󠄁 江國墾田二百町、在野州郡横並南限篠原鬼室集斯横並天平󠄃十 六年所賜、

... とありました。 >>382 (>>360 の引用文は新字体に改めている他、「野洲郡」と表記。)

[387] また、同条末尾に、

○按天智四年紀󠄄、https://glyphwiki.org/wiki/u6821-itaiji-001百濟佐平󠄃福信之功横並鬼室集斯小 錦下一、横並、八󠄂年紀󠄄、以鬼室集斯遷󠄉居近󠄁江蒲生郡横並官務帳云、集 斯墓在篠原鄕横並以爲四至ノ標不鮮明横並其高大可想也、嘗讀立 入氏比古婆衣横並鬼室集斯墓碑考一篇横並其碑在蒲生郡 日野鄕横並鳥三年云、篠原凡六七里、與帳支吾、疑 其義墓也、姑附後考横並」勝󠄃寶六年寫經所󠄃歷名、有鬼室小東 人、鬼室石次󠄄https://glyphwiki.org/wiki/koseki-181650横並 皆其後也、

... とありました。 >>382

[389] これによると、「大安寺資財帳」や「官務帳」に、 南界の目印として篠原鬼室集斯墓が記載されていたようです。

[3] 比古婆衣云々については、 鬼室集斯墓碑参照。

[391] 本文では「大安寺資財帳」といい、注釈では「官務帳」というのが謎ですが、 東京国立博物館に 「興福寺官務帳寺社之部・大安寺資財禄帳抜書・東大寺三綱紀抜書・大安寺三綱紀寺社録《興福寺官務牒疏》」 が所蔵されていました >>390。 このような史料が出典だったのでしょうか。 興福寺官務牒疏椿井文書の代表格です。


[394] 日本古代史研究者池邊彌 (-) 和名類聚抄郷名考証 >>395 増訂版 () の近江国野洲郡篠原郷の条に、 「篠原鬼室集斯墓、大安寺伽藍縁起幷流記資財帳。」 とありました。 >>360

[396] ところが、 大安寺伽藍縁起幷流記資財帳 (成立) の複製本 (国華社, )、 大日本古文書本、 大日本仏教全書本 (旧版、新版)、 群書類従本、 新校群書類従本、 寧楽遺文本のいずれにも、 このような記述はありませんでした。 >>360, >>398

[397] 胡口康夫池邊彌に問い合わせたところ、 大安寺資財帳鬼室集斯墓の記述はなく、 著書の誤りであると返答がありました。 >>360 何故混入したのか不明ですが、 日本地理志料 など先行研究に従ったものでしょう。


[414] その他「抜書」で追加された地名を検討すると、

[432] このように中世以降成立の可能性が高い地名が含まれるとして、 大安寺資財録抜書 の成立は中世以後と考えられました。 >>360

関連

[2] 関連記事: 日本古代の日時鬼室集斯墓碑, 野洲郡大篠原鬼室集斯墓碑, 小野村

メモ

[1] 大安寺伽藍縁起并流記資財帳 () http://www.kagemarukun.fromc.jp/page017p.html