伊豆諸島

伊豆諸島

[10] 伊豆諸島は、 伊豆半島の南方にある島嶼群です。

行政区

[12] 伊豆国に属します。

[11] 行政上は東京都に属しています。

地理

[13] 伊豆諸島

[14] 北方には本州、南方には小笠原諸島があります。

メモ

[1] 国立公文書館 デジタルアーカイブ ( ( 版)) http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_F0000000000000043989

[2] どの市区町村にも属さない場所 -帰属未定地について- ( (Masahiro Higashide 著, 版)) http://uub.jp/arc/arc415.html

[3] ( 版) http://www.shimajournal.org/issues/v8n1/k.%20Long%20Shima%20v8n1%20104-108.pdf

[4] 賀茂郡 - Wikipedia ( ()) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E9%83%A1

古代における賀茂郡の範囲は現在の南伊豆(南伊豆町三浜地区を除く)と東伊豆および伊豆七島の地域まで含まれていた。

[5] 伊豆諸島(伊豆七島・青ヶ島・南方四島) ( (Masahiro Higashide著, )) http://uub.jp/hmt/hmt19.html

[6] 伊豆諸島(伊豆七島・青ヶ島・南方四島) ( (Masahiro Higashide著, )) http://uub.jp/hmt/hmt19.html

ところで,伊豆諸島には律令時代以来,現在に至るまで「郡」が編成されたことがありません。

「伊豆国」のうち,半島部は 田方・君沢・那賀・賀茂 の4郡に分かれる(郡制施行後は田方・賀茂の2郡)のですが,沖合の島々はどの郡にも属していないのです。

[7] 伊豆諸島という呼称の変更の問題について ( ()) http://deirahon.com/sub/KAZ/KA02.html

いいかえれば、“伊豆”という地名は、本土側の“国地”と、島嶼側の“島地”の二つから成立していることになる。ちなみに、伊豆国は賀茂郡・田方郡・那賀郡の三郡から成り、“島地”は伊豆半島の南部と同じく「伊豆国賀茂郡」に属していた。そして、古代においては、“島地”のほうが“国地”よりも重視されていたかもしれないのである。

たとえば、『延喜式』神名帳の「伊豆国九十二座(大五座、小八十七座)」をみると、賀茂郡四十六座(大四座、小四十二座)、田方郡二十四座(大一座、小二十三座)、那賀郡二十二座(並小)とある。ちなみに、『延喜式』とは、平安初期の律令(法制書)で、その巻九(神名上)・巻十(神名下)に登載された神社(3,132座、2,681所)のことを、ふつう「式内社」と呼んでいる。すなわち、伊豆国の式内社のちょうど半分が「賀茂郡」にあることになる。そして、じつに、その46座の半分の23座が伊豆諸島に点在しているわけである。

その内訳は、大島3座(小)、利島1座(小)、新島1座(小)、式根島1座(小)、神津島2座(大)、三宅島12座(小)、御蔵島1座(小)、八丈島2座(小)となっている。つまり、三宅島には伊豆諸島の半数を上回る12座が鎮座し、神津島には名神大社が2座もあるのだ。

[8] 伊豆国からの鰹の荷札木簡(平城宮跡内裏北外郭官衙) 文化遺産オンライン ( ()) http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/197262

「伊豆国(いずのくに)賀茂(かも)郡(ぐん)三嶋郷(みしまごう)」(今の東京都伊豆諸島か)の戸主「占部(うらべの)久須理(くすり)」の戸口(ここう)「占部広庭(ひろにわ)」が、「調(ちょう)」として収めた「麁堅魚(あらがつお)」(カツオのあらぼし)の荷札。「拾壱(じゅういち)斤(きん)拾両(りょう)」は重さを示し、約七・八キログラムに相当する。荷物に合わせて大型だが、カツオの荷札として切り込みがない珍しいタイプの荷札。「天平(てんぴょう)十八年」は746年。

[9] 伊豆国の式内社 ③ : 路上日記 SEASON IV ( ()) http://blog.livedoor.jp/streettripler/archives/31450617.html

[15] 16-23.司法書士538.特集3.五校.indd - 201612_04.pdf, , https://www.shiho-shoshi.or.jp/cms/wp-content/uploads/2017/03/201612_04.pdf