ORIG: 96/10/01 REV1: 97/07/17 format 図版のこと追記
REV2: 97/08/31 図版は「目井浦」とのこと REV3: 97/10/12 ご指摘にも応えて
島根半島に「十六島」と書いて「ウップルイ」と読む半島・集落があります。
この地名の語源・語義に就いて、以前から興味を持っていましたので、調べてみた事を
まとめて見ましたので、各位のコメントを頂戴できれば幸いです。
0.出雲風土記・楯縫郡の所で「於豆振」(オツフリ)と出ているのが
「十六島」(ウップルイ)とされている。(岩波日本古典文学大系の風土記ではP177)
これに関して、読者の方から、岩波も採用している「於豆振」との表記は不確実であり、
必ずしも「オツフリ」ではない、とのご指摘を頂きました。ありがとう御座います。このご指摘が
意味するところは、現行の呼称「ウップルイ」が風土記の「オツフリ」に溯れるのか、に就いては疑問が
ある、と言うことで、即ち、「ウップルイ」呼称がどこまで溯れるのかは判らない、と言う意味で
あります。しかし、いつから始まったのか現在に至るまで「ウップルイ」と呼ばれているのは事実
なので、これの語源探索自体には意義があります。
同ご指摘によると、先達のご研究の中で広く支持されているものは、要約しますと、
金関丈夫氏の説で、その「十六島名称考」(『考古と古代』所収)にて、『風土記』の記事は
「許豆埼」であろうとされ、加藤義成氏の『修訂 出雲国風土記参究』で、
「定説とすべき」とされていることの由です。
さしづめ、「於豆振」は誤記で「許豆振」が正しいのであろう、ということかと思います。いずれにせよ、
其の地がウップルイと呼ばれてきていることには変わり無く、小生の興味としての、ウップルイの語源、
語義は相変わらず不明、ということかと思います。また、「許豆」の語義に就いて
考えた所を下記に追記しておきます。
一つのアプローチは、「オツフリ、が古く、ウップルイ、が新しい。つまり、
ウップルイの語源は、オツフリである。としてオツフリの更なる語源を
求める」ことでしょう。
もう一つは「実は、その地名は昔からウップルイと言っていた筈だ、それを
『於豆振』と漢字を宛てたに過ぎない。だから、ウップルイの語源を求める」
ということになりましょうか。
1.オツフリ の語源
第1